ボロシャツ
ポロシャツではなく、ボロシャツの話ですが・・・
最近、破れてボロボロになったシャツを着ている人は、
よほどおしゃれな人でないと、見かけませんね。
それでは、擦り切れたシャツは直して使っているかと言えば、
そんな人もいないようで、掃除用のボロ布にするか、
さっさと捨ててしまう人も多いのでしょう。
最近、破れてボロボロになったシャツを着ている人は、
よほどおしゃれな人でないと、見かけませんね。
それでは、擦り切れたシャツは直して使っているかと言えば、
そんな人もいないようで、掃除用のボロ布にするか、
さっさと捨ててしまう人も多いのでしょう。
なぜ?
擦り切れているくらいで、何の不都合があるのでしょうか?
と言うわけで、僕は擦り切れたシャツは作業着にしているのですが、
他の人の擦り切れと僕の擦り切れは、なんだか大きく違います。
周囲の人を見ると、皆さん袖口から擦り切れるようなのに、
僕の場合は袖口は何ともなくて、襟首から擦り切れてくるのです。
この違いはいったい何なのか、とても不思議な気がします。
写真を見ての通り、袖口は何ともないのに襟首が擦り切れて、
最初の生地一枚はすっかりなくなってしまい、周辺だけ残っている。
ここまで使う人もあまりいないでしょうが、僕はまだまだ使って、
さらにどのように擦り切れていくのか、見るのが楽しみです。
ちなみにシャツやパンツは、破れるまで使っていますし、
ジーンズは、破れて使えなくなると短パンにして使っています。
このくらい衣類を捨てないでいると、どのくらい持つ物かと言えば、
20代前半に買ったジャケットなどは、50代後半の今でも使っている。
体型が少々変わったので、昔のようには着こなせませんが、
滅多に使わないようなサマージャケットなどは、これで十分です。
面白いのは、手に入れた当事はほとんど使わなかったものが、
10年以上過ぎてから、急に気に入って使い始めたりもしています。
30代に親からもらった衣類などで、当事は気に入らなかったのが、
今頃になって、ちょうどいい感じで使い始めた物もありますし、
好みはすこしずつ変わるので、気に入るまで使わずに取ってある。
しかもこのくらい長く持っていると、あるいは使い続けていると、
質の良し悪しや、使い勝手、着心地の良し悪しがよくわかって、
目先の流行に惑わされない目を養えるのも、面白いですね。
最近では、景品やボランティアでもらったTシャツなどもあるし、
使わない甚平やシャツなど、支援物資としてさえ引き受けないので、
僕がいただいて使っている物も、少なからずあるのです。
電気だけ節約すればいいわけではなく、無駄な消費をしないため、
使える物を捨てない、ある物は買わないってことも大切です。
マスコミの「買わせたい」広告に乗せられて消費拡大することは、
見えないどこかで、エネルギー消費も増やしているのですから、
誰も見ていないテレビを、つけっぱなしにしているようなものでしょう。
景気回復や経済拡大よりも、すでにある物で、足るを知り、
消費ではなく、創造的な人生に向けて豊かさを求めればいいのです。