飛騨屋のサイカチ(皁莢・梍)

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町内会の三世代交流会として、近隣の巨木・名木巡りに参加しました。
去年と今年、ちょうど自然大好きなナチュラリストが、町内会長ですので、
こうした企画が提案されて、自然の中に出掛けることが多いのです。
しかも会長自身は、町の古い歴史のことも詳しい人でもあるので、
いくつもの要所では、植物を通した町の歴史なども教えてくれます。

今回は三世代交流ってことですが、僕らの町内には子どもが少なくて、
30人近い参加者の内、子どもがたった二人だけだったのは少々さみしい。
その他は僕より高齢の人が多く、どうしても敬老会のようになりますが、
最近はどこでも同じように少子高齢化が進んでいるから、仕方ないでしょう。
それでも皆さん元気良く、助け合って巨木巡りツアーを楽しまれました。

もともと歴史の古いこの地方では、古木や巨木は多いはずですが、
僕はそうした地域のものをあまり知らず、今回初めて見るものもある。
例えばこの写真のサイカチなど、サイカチそのものを知らなかったので、
これが推定樹齢470年と聞くと、どうしてこんな樹があるのか不思議に思う。
見ての通りに一度倒れて横になっているけど、樹勢は衰えていないようで、
青々とした葉をたくさん付けて、大きなサヤ豆の実を付けていました。

聞くところによれば、このサヤは泡が立って石鹸の変わりになるとかで、
昔は地元の人たちによって、シャボンノキと呼ばれたこともあるそうです。
5月には芳ばしい匂いを放つ小さな花がたくさん咲くそうで、きっとサヤの泡も、
いい匂いがして、多くの女性たちに愛用されていたのだろう!と思われます。
この樹は主に川辺に自生するものだそうですから、昔の飛騨屋地区は、
まだ暴れ川だった庄川が、この付近を流れていたとも推測されて面白い。

飛騨屋という地名も、もとは飛騨から移り住んだ人たちの居住地だったようで、
庄川沿いにはこの他にも、飛騨から八尾を経て移り住んだ人の地区が多い。
そういえばまだ河川管理の出来なかった昔は、川の流域は危険な場所で、
多くの人たちは、川の氾濫が危険な流域平野よりも山に澄んでいたのです。
平地に多くの人が住むようになったのは、この150年ほどのことでしょう。

飛騨屋のサイカチの他に見て回ったのは、山見八幡宮のサイカチ、
大浦邸のケンポナシ、ゆのきの木、瑞泉寺のフジ、瑞泉寺のシダレヤナギ、
幹周りが760㎝で、高さ40mを超える、松嶋大杉なども見て回りました。
中でも「ゆのきの木」は、昔から交差点の真ん中にあって不思議でしたが、
ニレ科のエノキであるこの木は、1925年の町の大火にに耐え、
注連縄をしてご神木のように扱われたことから、伐採を免れたようです。

これも僕は知らなかったのですが、もう少し上の世代の人たちは、
子どもの頃に、この木を「天狗の住む木」として恐がったと聞きました。
特に夜など、当事は今のように明るい夜ばかりではありませんから、
暗い交差点の真ん中に立つニレの大木は、異様な雰囲気だったのでしょう。
またケンポナシは、戦後に食べるものがない時代のおやつとして、
多くのお年寄りが食べていたのも、なんだか不思議な気がしました。

こうしてみると、自分が生まれて子ども時代を過ごした土地のことながら、
今も知らないことがたくさんあることも、新鮮な驚きでしたし、
古いものを次々に忘れて、新しいものしか知らない寂しさを感じます。
巨木巡りの後は、牛岳スキー場のてっぺん展望台で砺波平野から富山平野まで、
県内のほとんどの平地を一望して、さらに富山湾まで見渡してきましたが、
こんな見晴らしのいい場所があることも、今までまったく知りませんでした。
もう少し地元のことを、ちゃんと知っておきたいものですね!