かけひき
春先の残雪や低温のために、遅れていた稲の生育ですが、
田植え後の高温と、毎日深めに水入れを続けた甲斐あってか、
このところようやく、例年の生育に近づいてきた様子です。
自然環境が破壊されても、金銭経済だけ大切にした社会の帰結で、
穏やかに四季の変化をしていた日本の気候は、亜熱帯化して、
今では極寒の冬と酷暑の夏の間に、わずかな春秋しかありません。
田植え後の高温と、毎日深めに水入れを続けた甲斐あってか、
このところようやく、例年の生育に近づいてきた様子です。
自然環境が破壊されても、金銭経済だけ大切にした社会の帰結で、
穏やかに四季の変化をしていた日本の気候は、亜熱帯化して、
今では極寒の冬と酷暑の夏の間に、わずかな春秋しかありません。
哀れな話ですが、すべては人間たちの自業自得ですから、
このまま自然環境を破壊し続けて、劣悪な環境で生きるために、
さらなる経済拡大を求めて、自然を徹底的に壊すのか?
そうでなければ、経済拡大そのものに枷をはめる必要がある。
このアッパーネットの考え方は、何年も前から言っていましたが、
どんな議論の場で言っても、誰一人賛同者どころか、
言っていることの意味さえ、理解してもらえませんでした。
ところが最近になって、フランスのセルジュ・ラトゥーシュの、
「脱経済成長論」が一躍脚光を浴びるようになると、例えば、
同じ一人の人間が働いて、一万倍の収入格差があることに対して、
疑問を言う人が増えてきたことも、確かな事実なのです。
あるいは今の地球上には、すべての人が飢えずに生きられるだけ、
食料生産量があるのに、実際には一部の人が肥満状態で食べ残し、
他の一部の人は、飢餓状態から逃れることが出来ないでいる。
こうした不平等経済を公正にする、アッパーネットの考え方で、
限られた資産を、偏った一部の人のものにさせないシステムを作る。
あるいは、放っておいても増える金融資産によって、
相対的に貧困に追いやられる、圧倒的多数の人たちのために、
ベーシック・インカムなどの考え方も、出てきている。
こうした考えが増えてきた背景には、例えば原発もそうですが、
現代の価値観は、マスコミ広報で作られたものだという危うさがある。
今日の写真は昨日の水田で、黒米エリアを撮したものですが、
水田における草の管理は、水の出し入れである程度管理できます。
そのことを農場へ来た人と立ち話していたら、彼が突然、
「かけひきは、田んぼの水の出し入れから来た言葉だ」と言いました。
「へえ~」と感心しながら聞いて、家で確認してみたら、
「かけひき」は「駆け引き」で、兵を進めるか引くかの戦略のこと、
と解説が付いて、農作業との関連は見つかりませんでした。
考えてみれば、こうした会話そのものが駆け引きのようなもので、
検証せずに信じてしまえば、これが常識になっていくでしょう。
自然環境を壊しても経済拡大が必要!と思い込んでいることだって、
ひとたび疑問を持って検証すれば、なんだかおかしな思想で、
そのために多様な生活をする人が追い出されるのは、明らかにおかしい。
そんなことを思いながら、今日の記事を書いてみました。