沖縄終戦記念日

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今年も6月23日、沖縄終戦記念日になりました。
戦跡はすっかり観光地になって、当事の面影はなく、
直接悲惨な体験をした人たちは、もう高齢になり、
沖縄で何があったのか、忘れられようとしています。
だけど今も沖縄は、アメリカ軍の支配下にあり、
日本の治外法権地帯が、沖縄本島の2割にもなる。

世界で最も危険な基地である、普天間基地の移設で、
沖縄県民の民意は、県外移設を求めていますが、
日本政府には、それを実現する能力を持っていない。
沖縄が日本に復帰したことで、経済は活性化したけど、
おかげで珊瑚礁などの自然は、壊滅的な状況となり、
皮肉な話ですが、米軍統治下の方が美しかった。

日本人にとって、沖縄とは何なのかを考えると、
歴史の事実から見えるのは、過酷な状況ばかりです。
1879年の琉球処分以来、
1903年の大阪人類館事件、
  10年の懲役拒否事件、
  17年からの方言札、
  38年からのユタ狩り、

沖縄文化を否定して、日本文化への同化を計り、
戦争が始まると、日本防衛の盾にしようと企てる。
戦後は日本がアメリカ防衛の盾になったのですから、
皮肉な話と言えますが、これが沖縄の歴史です。
しかも沖縄では、圧倒的に戦力の違う米軍との地上戦で、
多くの一般市民が逃げまどい、殺されたばかりか、
半ば強制的な、集団自決の話もたくさんあるのです。

1945年の3月26日、米軍は慶良間諸島に上陸、
4月1日に本島に上陸すると、またたくまに制圧します。
しかし日本は降伏しないわけですから、市街戦となり、
6月23日に牛島司令官が自決するまで、続いたことで、
さらに大勢の一般市民が殺されたのが、沖縄戦でした。
降伏も許されない、三ヶ月間の市街戦は残酷です。

この三ヶ月間に何があったかは、記録が教えてくれますが、
それも次第に姿を消して、忘れられようとしている。
広島の被爆を忘れて、再び福島で被曝者を出した如く、
日本人は何でも忘れて、都合よく人を教育してしまうから、
誰かがそれを注意して、教訓を忘れない必要がある。
6月23日は、そのための大切な祈念日だと思うのです。