となみ散居村を学ぶ

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 山中峯太郎著『敵中横断三百里』にある樺島勝一の挿絵から
 
昨年の8月から、となみ散居村ミュージアムで開かれていた、
7回連続の学習講座が、2月26日の記念講演で終了しました。
この連続講座はいつも面白くて、何度か参加していましたし、
今回も「となみ散居村の生活と歴史」と興味深いものでしたので、
聞きに行きましたら、会場は大勢の人で溢れていました。

講師をされたのは、中京大学情報理工学部教授の沼田宗敏さんで、
演題は「『坂の上の雲』の時代 ~となみ野の人と民具~」。
彼は砺波市神島の出身で、専門の工学以外に郷土史の造詣が深く、
「三田村物語」「砺波地方の改良双用スキの開発」「神島の歴史」
などの著書もあり、知らなかった多くの話しを聞くことが出来ました。

まず砺波の歴史に関して、「となみ」は利波評(こおり)として、
日本最古の歴史書古事記」にも、利波評督(郡司)利波臣が出てくる。
越中古事記に登場するのは、この利波臣だけのようですから、
この地方が、いかに古くから開かれた要所だったかがわかります。
次に利波の地名が、江戸時代の藩主前田利家の「利」と同じことから、
恐れ多いとして文字を変えて礪波となり、現在は俗字で砺波を使う。

この程度のことは、昔の人なら皆さんご存知なのかも知れませんが、
学校では習いませんし、僕の周りに知っている人はいなかったのです。
また歴史が古いせいか、砺波市出身には希代の時代考証家もいたようで、
NHK大河ドラマ樅の木は残った」「龍馬がゆく」などを担当した、
小説家でもあった稲垣史生の紹介なども、実に興味深いお話でした。
「龍馬がゆく」に比べて、去年の「龍馬伝」は実にいい加減でしたね!

そして話しは「坂の上の雲」の時代へと進みますが、この小説では、
秋山兄弟が主役となって、当時の日本の命運が描かれています。
ところが同じ時代の切り口として、黒澤明は別の人物を描いていますが、
原作となった「敵中横断三百里」の主役は、砺波の人だったのです。
河辺正三陸軍大将、河辺虎四郎陸軍中将、滝田俊吾陸軍少将の三兄弟に、
小学校から一緒だった沼田與吉が、斥候として重要な役割を果たす。

詳しいことを知らない僕が、これ以上書くのは差し控えますが、
砺波地方の出身者が、日露戦争に深く関わったことは確かなようです。
そしてこの当時、農作業の道具においても多くの改良が行われて、
僕らが現在使っている、足踏脱穀機やトウミなど開発されたばかりか、
日本全国に出荷して、一大産業拠点だったことが知れました。

僕らは今、豊かな自然を資産として南砺市の将来を考えていますが、
古事記に登場する利波臣のさらに昔から、散居村が広がった時代を経て、
これから長く行く末も、豊かな自然によって食べることが基本です。
この豊かさの上に、様々な文化が生まれて育まれたのがとなみ野であり、
時代と共に姿形を変えながら、この豊かさを守りたいと思うのです。
 

「敵中横断三百里」に関しては、いくつもの記事がありますので、
そのブログの一つを、下記に紹介しておきます。
http://plaza.rakuten.co.jp/jyoudankeri/diary/20100729/

アマゾンにはDVDの販売もありますが、↓これは黒澤版ではないようです。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B0014IMRRQ?ie=UTF8&tag=isobehon-22