初詣の賑わい

イメージ 1
 
昨年も押し迫った30日、見知らぬ人から連絡があり、
一度会いたいとのことで、元旦にイオンで待ち合わせました。
彼は国際NGO「R水素ネットワーク」の人で、
僕がブログやMLで、循環型社会の必要性を唱えていることから、
関心を持って、富山へ帰郷した際に連絡をくれたようでした。
彼自身は都区内出身のようでしたが、彼の奥さんが富山市出身で、
奥さんの帰郷に合わせて、富山へ来ておられたようです。

国際NGO「R水素ネットワーク」のことは、以前から感心があり、
ちょうどいい機会だと思ったので、じっくりお話をしてきました。
彼は元々、F1のようなモータースポーツ界にあこがれて、
海外留学までした上で、光岡自動車に入社して開発に携わった、
根っからのエンジニアなのですが、すでに多くの人がご存知の通り、
「環境」や「省エネ」がキーワードになる時代が進む中で、
自動車会社の開発も、モータースポーツとは遠ざかっていきます。
光岡自動車も開発部門を縮小して、彼は居場所を失ったようでした。

彼は転職を余儀なくされて、水素エネルギー自動車に関心を持ち、
たまたまこのNGOが立ち上がる時期で、人材を求めていたことから、
応募参加して、今日に至っているとのことでした。
いろいろお話をしていると興味深く、またたくまに時間が過ぎて、
少々風邪気味だった僕は、そんなことを忘れて話し込みました。
と言っても僕は何の力もない一市民で、彼の力になれることはないし、
R水素を普及させるような、何の力も権限もないのですが、
逆になぜか権限のある人たちは、こうした技術を受け入れたがらない。
残念ながらその理由は、既得権益の構造を壊したくないから、
今ある利権の延長上でしか、新しい技術を認めたくないらしいのです。

不景気だ何だと言いながら、イオンの中にはたくさんの人が溢れ、
おカネを使えば満足するらしい、買い物客がひしめいている。
うかうか「おカネの問題」に気付き、「問題を起こさない生き方」
を求めるようになってしまうと、この光景がおぞましく見える。
それでも多様な価値観で、多様な生き方があればいいと思うから、
裏で何が起きていようと、綺麗なお店で買い物をして喜ぶ生き方も、
むやみに否定していいとも、思われなかったりはしますが、
勝ち組商店街にだけ人が集まる光景は、やっぱり異様に見える。

なんだかなあ!と思いながら、家に帰って一人で食事をして、
翌2日には、初詣にも同じように大勢人が来ているのか気になって、
カメラを持って、ぶらりと高瀬神社に行ってみました。
いましたいました、大勢の参拝客で参道はごった返していまして、
家族のいない僕は場違いな感じで、写真だけ撮って帰りましたが、
神社にお参りする人が大勢いることで、少し安心したのも事実です。
この神社にも、鎮守の森が大切に続いていることが救いです。
神社を守るために森があるのか、森を守るために神社があるのか?
自然を神と祭る日本人の精神性から、自然の一部としての日常性まで、
人間とは何かを考える縁が、ここに色濃くあることは事実でしょう。

僕らが今、まちづくりの基本的なコンセプトとして持とうとしている、
持続可能な循環型社会は、この国の古神道から続く価値観なのです。