次のステップへ?

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とある神社へ出向いて、宮司さんとお話をしてきました。
きっかけは、9月23日の記事に書いたお地蔵さんであり、
このお地蔵さんを車に乗せて、意見をうかがいに行ったのです。
ところが行く前に、お地蔵さんは必ずしも佐渡へ帰りたいのではなく、
今回こうして神社を訪ねるための、契機だったことが知れました。
そして宮司さんと話しをする中で、確信となったのです。

僕がこのブログで書いている内容は、必ずしも一般的な価値観でなく、
むしろ現代の常識である価値観に、挑戦的な記事が多いことは、
いつも読んでいただいている方には、すでにおわかりのことでしょう。
その上で、300人以上のファン登録をいただいていることや、
毎日120~150人の人に、記事を読みに来ていただき、
一つの記事に対する読者が、平均で160人もなることには、
僕自身が驚くと共に、このブログを続ける動機ともなっています。

しかしながら、常に感じているもう一つのことは、
ブログやインターネットは、あくまでも一つの架空世界であって、
もっと大切なのは、五体や五感を活かすリアル世界であるということ。
ネットを使うのは、あくまでもリアル世界の手助けでしかないので、
ブログやメールに労力を使いすぎない、戒めの必要です。
メールに関しては、いくつものMLに加わっていることもあって、
まともにチェックしていたら、毎日一時間では終わらないから、
今ではかなりおおざっぱな関わり方で、継続はしています。

問題はブログで、いただいたコメントは原則的に必ず返事をし、
意見の違うものに対しても、出来る限り返事をして答えています。
これが結構手間暇が必要で、無知なあるいは悪意のある、
攻撃的なコメントに返事を書くのは、けっこう骨が折れます。
それでも、ちゃんと読んでくれればわかってもらえると思うから、
せっせと書くのですが、わかってもらえることは案外少ない。
少なくても有難い契機なので、続ける意味はあると考えるのですが、
宮司さんは、少々違う考え方を持っておられました。

邪悪なものの力は強いので、見くびってはならないこと。
そんな所にとどまっていないで、次のステップに進んではどうか?
簡単にはこのような話なのですが、様々な認識に共通するものがあり、
大多数の不安を感じている人を、僕個人が救えるわけではないのだから、
むしろ“念”を手放して、神にゆだねることの意味を諭される。
この話しも、聞いてみれば僕がすでに知っていることでしたから、
あとは僕自身が、そうするかしないかの選択でしかないのです。

このインターネット環境で、得ていることは確かに多いのですが、
同時に失っていることも多く、どちらがより大切なことなのか?
周囲で様々な奇跡が始まっている今年、考える必要があるのでしょう。
純粋に次のステップを求めて、どうあればいいかと考えるなら、
そろそろネット世界から去るべきかとも思うのですが、
理不尽な人間を愛おしいと思えば、泥中に在るも悪くはない。

残る今年2ヶ月間に、あらためて考えてみようと思います。
もしもYahoo!との契約をやめた場合、このイソップ通信も消えるので、
ここに一言、事前に報告相談をさせていただきます。