町内から消える一軒
近所で大きな音がして、何事かと思ったら家の解体でした。
僕がこの町へ戻ってきた当初は、夫婦で暮らしておられたのが、
旦那さんが亡くなって、高齢女性の一人暮らしになり、
関西在住の長男が、引き取って暮らすことになったようです。
僕がこの町へ戻ってきた当初は、夫婦で暮らしておられたのが、
旦那さんが亡くなって、高齢女性の一人暮らしになり、
関西在住の長男が、引き取って暮らすことになったようです。
わが家の場合は、おふくろが一人で病気になったとき、
兄弟三人が暮らしていた東京へ、来ないかと誘ったけど、
彼女は自分が生まれ育った場所がいいと言って、来ませんでした。
どちらがいいかは、本人の気持ちが一番大事だと思いますが、
おふくろは自分が生まれ育った町を、こよなく愛しており、
晩年を他の場所で暮らす気は、なっかったようです。
病気で体が不自由になったおふくろのために、手直しした家は、
彼女が亡くなってからも、そのままに残っていたので、
僕は東京を引き払ったあと、この家に戻ってくることになりました。
家がなければ、沖縄に移住した可能性が高かったでしょう。
僕が今少ない現金収入で暮らしていられるのは、家があるからで、
住処があって食糧を自給するから、市民活動も出来るのです。
おカネに頼って生きることが、いかに多くの問題を起こすか、
気が付いてしまうと、なるべくおカネに頼りすぎない生活にしたい。
だけど住処と食料は、生きていくためには不可欠のものなので、
自分で家を造れない現代社会では、おカネに頼る割合が増えます。
この点を指摘して、田中優さんは長く住み続けられる家を提唱します。
新しく家庭を持つからと言って、新しい家を建てるのではなく、
古くから在る家に、手入れをして住み続けるメリットを説くのです。
それは「おカネに頼りすぎない暮らし」の一歩でもあり、
未来の子どもたちのために、資源を大切にする方法の一つでもある。
そもそもおカネには、大きく分けて二つの問題があるのですが、
一つは、有利子金融による貧富の格差を広げる作用であり、
もう一つが、経済拡大による有限資源の無制限な消費なのです。
したがっておカネの問題を解決するには、有利子金融を止めると共に、
経済拡大も止める必要がありますが、今の政治家はそれができない。
政治家がやってくれるのを待っていたら、世界は必然的に滅びるので、
まずは自分たちから、こうした問題を起こさない生き方を選択し、
この選択を、市民活動などを通じて徐々に広めていくしかないでしょう。
そんな悠長なことでは間に合わない!と思う人もいるでしょうが、
いかに正しく思えることも、他者を強制して従えてはいけないのです。
少しでも多くの人が、納得して循環型社会を選択するしかありません。
残された我が家は、かなり痛んでトラブルも起き始めていますが、
おふくろは趣味を楽しむ人でしたし、僕も今は自由自在に暮らしながら、
自然農と市民活動を大切に暮らすには、この家は十分な住処なのです。
ずっとこの家に住むかどうかは、確証もありませんが、
新しい家のために、資源やおカネを使いたいとも思いません。