日本民芸協会全国大会シンポジューム

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昨日は午後4時過ぎから、南砺市じょうはな座において、
第64回 日本民芸協会全国大会シンポジュームがありました。
最初に、内山節さん(立教大学大学院教授)と、
中沢新一さん(多摩美術大学教授)のお二人が30分ずつ、
「民芸の現代的意義を問う」と題した基調講演をされて、
その後に、パネルディスカッションという組み立てです。

なぜ南砺市城端で、民芸協会のシンポジュームが開かれるかと言えば、
民芸運動創始者とされる、柳宗悦の50回忌法要を、
彼が「美之法門」を書いた城端別院(善徳寺)で行われたからで、
浄土真宗の土徳風土とも、深い繋がりがあるからでしょう。
チラシの文章には、以下のような文言がありました。

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|師が逝かれて五十年、私たちの生活は大きな変化を遂げました。
|その中で「民衆の工芸=民芸」は衰退を辿り続け、「民芸」の「用と美」
|についても紆余曲折する中、忘却されつつあります。しかし、
|西欧型文明の限界が露わになった今、私たちが私たちの世界を取り戻すために、
柳宗悦師が提唱した「民芸運動」を問い直すことは時代の要請と言えます。
|なぜならそこには「民芸」ばかりではなく、仏法をも追求した
|「日本人の心」が宿していると思われるからです。
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こうした観点から、民芸の現代的意義が問われたわけですが、
中沢新一さんは、「自分の講演時間を2時間と思って準備してしまった」
として、読み応えのあるレジュメまで配布していただけました。
【「民芸」を初期化する】と題したそのレジュメの冒頭には、
M.セール『小枝とフォーマット』からの引用として、
とても的確な時代把握があるので、これもそのまま転載しておきます。

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|今日の世界が苦痛のうめき声をあげているのは、産みの苦しみを開始したためである。
|深刻な危機が迫る中で、われわれは生活に影響を及ぼすものの総体と人間との間に、
|新たな関係を作り出さなければならない・・・先行する時代においては、いかなる知も、
|次のようなきわめて重大な企てを構想する必要もなかったし、導入する必要もなかった。
|つまり、個人の普遍性を再び創り出すこと、個人の住居環境を再編成すること、
|新たな人間関係を組み立てることである。
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これって、僕らが自然農や市民活動を通じて行っていることの趣旨そのもので、
今さらこんな気取った表現ではなく、もっと具体的な取り組み話を聞きたいと思い、
あらためて、中沢新一さんの話を注意して聞いてみました。
中沢さんは以前から柳宗悦には関心が高かったようで、宗悦の精神的バックグランドに、
イリアム・ブレイクの研究があったことを話されたのは、興味深かったですね。
本来の民芸が持っていた、無心、無分別、無作為に生まれた“用”の美に対しては、
ブレイクの世界観と同じように、ありのままの世界に対する賛歌を感じるし、
これはそのまま自然農の世界観でもあるので、すぐに腑に落ちる感じでした。
レジュメにあった中沢さんの締めくくりの文章も、自然農の心に繋がるので転載します。

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|私たちは、現代の技術化されグローバル化された世界の中で、新しく今日の「民芸空間」を
|育てたい。ここには、贈与、製作、実践、協同、歓待、愛、美などをめぐる現代の重要問題
|が総結集しているように思えるからである。その空間の中で発見されることになるものは、
|おそらく柳宗悦が「民芸」として発見したものの範囲を大きく越えることになる「生き方」
|そのものの問い直しに関わる諸物となるだろう。「民芸」の思想は、まだ完結していない。
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ただパネルディスカッションに移ってからは、話が少し雑になったようで、
民芸空間が失われて民芸品だけが残った!とされる“民芸空間”が蔑ろにされます。
失われた民芸空間に代わる、新しい民芸空間がどんなものかが検証されないまま、
「最近の新しい技術による工業製品には、民芸の可能性がある」と発言されたのは、
納得できないものがあり、終了後のロビーに中沢さんがいらしたので、
取り巻きの人の隙間から声を掛けて、その真意のほどを聞いてみました。
中沢さんは言葉を慎重に、今はまだバーチャルな世界に可能性を見ているとのことで、
そのままもう少し深く、それは現代文明の補完物に過ぎないのではないかと聞くと、
取り巻きの人たちから、現代の民芸品が現代文明の補完物だと言われました。

いったい現代の民芸品に、現代文明の綻びを補完するだけの力があるのでしょうか?
民芸品はすでに骨董品の領域になっており、仮想世界でしか民芸空間が得られないなら、
そのバーチャルな生産世界こそ、行き詰まった現実世界の補完物となるのではないか?
そうした話を、出来ればしたかったのですが、時間が無くなってしまいました。
中沢さんは、シンポジュームのスタッフや取り巻きの人たちと一緒に打ち上げ会場へ。
僕はまだ釈然としない気持ちを抱えながら、夕暮れの道を家路につきました。

シンポジュームには、富山県知事の石井隆一さんも参加されていましたが、
民芸が物作りだからと言って、富山県が北陸一の工業生産県であることに結びつけても、
話の展開としては、少々無理のあるものになったのは、仕方なかったのでしょう。
写真は向かって左から、司会の千秋健さん、石井富山県知事、内山節さん、中沢新一さん、
柳宗悦研究家のイ・スンヒョンさん、となみ民芸協会会長の太田浩史さんの6人です。