298円のトンカツ弁当

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富山市内で用事があるとき、帰りの道筋にあるスーパーで、
3種類くらいから選べる、298円のお弁当が売られています。
トンカツ自体が、1枚198円ほどで売られていますから、
異常と言うほどではないにしても、やっぱり安くなったものです。
飲み物は、出掛けにお茶を入れて持ち歩くようにしているので、
300円で、ちゃんとご飯ものの昼食が食べられるのです。

生活をおカネに頼りたくない僕は、普段は外食をしませんし、
一日外で用事をする場合には、お弁当を用意するのですが、
弁当の準備が出来なかった場合は、どうしてもお弁当を買います。
それがこれだけ安いと、作らずに買うのもいいかなとも思う。
選べると言っても、トンカツの他は鶏の唐揚げか照り焼きくらいで、
これだけでは野菜不足は歴然としていますが、僕の場合は、
普段家では、肉料理も揚げ物もしないので、ちょうどいいのです。

とまあこれが、栄養価と価格で考えた場合の判断でしょうし、
これで助かることがあるのは、間違いのない今の現実でしょう。
そのほか、僕が自分で作っている食品の価格をスーパーで見ると、
大根もキャベツも白菜も、安いときにはみんな一個100円以内で、
わざわざ作るのが、ばかばかしく感じる人だっているでしょう。
だけど自然農には、おカネ換算できない楽しさがありますし、
生活を手作りする魅力は、人の存在そのものに通じる喜びがある。
これを感じ取ることが、人生を豊かにする鍵かも知れません。

だけどこのシンプルな豊かさを、本当に実感できるためには、
自らの立ち位置を客観的に知り、さらに人の立ち位置を知ること。
お互いを啓発しあいながらも、自分の都合で相手に迷惑を掛けない、
そんな共生の思想、共育の認識が、最低限必要になってきます。
他者を押しのけてでも自分の利益を増やそうとする、競争原理とは、
明らかに一線を画す、命の理解が重要になってくるのです。

この生活基本品の物価安を見て、マスコミ的な経済評論家たちは、
デフレによる経済停滞が心配だと、繰り返し発言しています。
しかし経済弱者を決して助けない彼らの言より、現実の低価格化が、
よっぽど人道的で、僕のような多くのマネー貧乏人を助けます。
経済というものが、シンプルに需要と供給のバランスであるなら、
物価が下がるのは社会が健全である証だ!と言ってもいいでしょう。
僕らはそれを利用しながら、望むべき生き方を探ればいい!

そんな風に考えながら、この298円のトンカツ弁当を食べて、
いまだにハサ掛けのままになっている稲の、脱穀準備に行きました。
2日前から雨に当たらないよう工夫しておいた、最後の稲を、
もう乾いたものは小屋に入れて、その他は軒下に干し直しです。
これで明日か明後日には、全部の脱穀を終えることが出来るでしょう。
そして予報では晴れの木曜日にトウミして、金曜日に籾摺りすれば、
いよいよ今週中には、今年の米収穫が終わることになるはずです。
空を見ながら、そんな目論み通りにいきますかどうか・・・