ユザワヤの時代へ

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ユニクロ、イオンなどの低価格ブランドと同時に、
最近の新しい衣料の流れとして、お手製があります。
バブル時期のプレタポルテは、高価すぎるけど、
誰でも同じ大量製品では、おしゃれに着こなせない!
そんな人が、安いものを買った上で一工夫するときに、
日曜小物の“ユザワヤ”へ足を運ぶのだそうです。

実はこのお店、その取扱商品を見ていたら、
生前に母が細々とやっていたお店の商品と同じで、
衣類の生地から針、糸、ボタン、レース、等々、
日々の暮らしを手作りする様々なものを扱っている。
そんな慣れ親しんだ愛着も感じますが、それだけでなく、
手作りする価値を、思い出させてくれるのです。

自然農も、生活を自分たちの手に取り戻すものですが、
衣食住の“衣”においても、本当に価値あるものは、
自分で手作りするものだと、気づかれてきたのでしょう。
もちろん、お金を節約するために始めたとしても、
イリイチが生涯を賭けて見出した、生きる意味に繋がり、
誰でもが生活の中で、自分を表現できる手法なのです。

自分の生活に関わるものは、おカネだけでは済まさずに、
可能であれば自分で手作りして、自分の暮らしを作りたい。
そんな思いの人が、今は少しずつ増えているので、
親しい自然農の仲間には、綿花を栽培する人もいます。
いつかはその綿花から糸を紡ぎ、服を作りたいと思うのは、
それが人として、豊かさに繋がると感じているからです。

おカネってものは、持てば持つほど、使えば使っただけ、
本来の自分を阻害して、次第に自己を失っていくものです。
それを防いで、自分を育てていくには、自分を使うしかない。
僕が循環共生と同時に、自給自立を大切に思うのも、
豊かさの原点は、個々人の手作業にあると知るからです。
衣食住すべてを自分で賄えれば、それが最高の豊かさでしょう。

だけど現実に、人は自分ですべてを賄うことは出来ず、
家族を得て助け合うことで、ある程度の自給自立は出来る。
さらにそれでも不足する分を、地域社会で融通しあうのです。
ほとんどの実生活に関わることは、ここで事足りますが、
大規模な災害や、利害関係の諍いを調停するため国家を作り、
その役割を維持させるために、税金を支払っているのです。

したがって健全な社会とは、国政は調停役に徹して、
地方自治体が、民意をくみ取りながら政治を行えばいい。
こうした当たり前のことが、肥大した国家予算で見失われ、
国家から個人に至るまで、金のことばかり考えている。
そんな時代に、市井の人々は少し脱マネーを思い始めて、
自然農の広がりと同時に、手作りユザワヤが人気なのです。