山田辰夫さん

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映画「おくりびと」でも、個性的な演技を見せてくれた、
山田辰夫さんが、今年7月26日に亡くなられていたことを、
たまたまこのブログのコメントをきっかけに、今日知りました。
7月26日前後の日々は、ずっと沖縄の石垣島にいて、
毎日海を渡り歩いていたので、テレビなど見ていませんでした。
地元の八重山新聞は見ていましたが、ローカル新聞では、
山田辰夫さんの死が、記事になることはなかったでしょう。

彼は僕らと近い世代の、同じ富山県出身の俳優なのですが、
滝田洋二郎監督とは、高岡商業高校の同級生だったようですね。
僕がまだ20代で、当時まだ珍しかった原発反対の活動をしたとき、
環境保護の運動をしていた学生が、パンタの公演を企画して、
それを少し手伝ったことが、山田辰夫さんを知るきっかけでした。
彼の映画デビュー作「狂い咲きサンダーロード」の主題歌を、
パンタが歌っていたので、映画も見に行ったように覚えている。

暴走族に興味はなかったけど、パンタや山田さんはかっこよくて、
パンタのステージを自分で撮った写真は、イメージとして宝物でした。
革ジャンなんかを着るようになったのも、影響を受けたのでしょう。
だけど当時は、彼が富山県出身だとは知らなかったのです。
しかも彼の出身である大島町は、今は県内でも市民活動が活発で、
このところ市民活動として参加することの多い“協働”でも、
様々な試みをしている、先進的な地域になっているのです。

暴走族と市民活動なんて、まったく逆に見えるでしょうが、
既存の権力に対する不服従の精神としては、通じるところもある。
しかも砺波平野の散居村は、独立心旺盛な居住形態であって、
富山県の呉西地区には、昔から特異な独立心があるのです。
現在日本でも有数の、持家率と居住面積を誇る豊かな県なのに、
人に弱味を見せることが下手で、自殺率が高いのも無関係ではない。
日本中で自民党が負けた選挙でも、自民党新人が当選する土壌です。

そんな不思議な、突っ張った性格が、山田さんには似合っていて、
それを少しとぼけたのが、滝田さんの感じかな!と思います。
人の言うことを簡単に信じない、“我は我”のわがままさもあるけど、
そのぶん責任感は強いので、信頼できる人柄も多い気がするのは、
これは浄土真宗が広がる土壌でもあったのだろう、と推測できます。
山田辰夫さんの死を知って、様々なことに想い巡らせていると、
彼は、砺波平野の典型的な男を体現していた!とわかるのです。