HIBAKUSYA の絆

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今年は原爆・被曝の恐ろしさを見直す年なのか、
NHKでは「NO MORE HIBAKUSHA」を初めとして、
何本もの被曝に関する番組を編成しています。
その中には、原爆による被爆者ばかりでなく、
カザフスタンポリネシアの核実験による被曝者や、
さらには核燃料圧縮工場による被曝者などが、
同じHIBAKUSYAとして取り上げられていました。

被爆であろうと被曝であろうとHIBAKUSYAは、
体内に爆弾を抱えて、いつ発病するか知れない。
常時逃れられないこの不安こそ、現代を象徴し、
人間は何処へ向かえばいいかを考えさせるのです。
一部の愚かな人々は、外敵の脅威を煽ることで、
自らの内に悪魔の癌巣を作ることを目論みますが、
それ自体が自らを蝕むことに気づきません。

この新時代の脅威は、まず核兵器として登場し、
広島長崎で大量の被害者を生みだしたあとも、
米ソ仏の核実験場で恐るべき被害を生みました。
さらには平和利用と称した原子力発電で、
スリーマイルやチェルノブイリで被曝者を生み、
核濃縮工場では、今も被曝者を産み続けています。

武器を使う暴力だけが、人を苦しめるのではなく、
豊かな社会を標榜する巨大産業も、同じように、
目に見えない場所で、人々を苦しめている。
その代表的な例が、原子力産業なのでしょうが、
日本政府と電力会社は、どんな危険を冒してでも、
あるいはいかに地元の人を不安に陥れようと、
この原子力開発を止めようとはしないようです。

しかしこのHIBAKUSYAには不思議な一面があります。
その多くの人たちは、誰かを敵として憎むのではなく、
二度とこうした被曝の惨状を広げてはならないと思い、
同じ痛みを持つ者として、絆を感じていることです。
この絆は国境を越え、民族思想を超えて繋がって、
世界の将来に、大きな希望となって広がっています。

貧富の差を広げるだけの経済拡大を求めるのでなく、
誰かの利益に為に他の誰かを苦しめる原子力でもない。
二度と誰に対してもHIBAKUSYAにしてはならないと願い、
誰もが同じく、生きていることを喜べる時代に向けて、
新しい時代価値観の始まりを、教えてくれている。
それがHIBAKUSYAの絆になっているように思うのです。
世界中のすべての人が幸せになる、新しい時代に向けて、

「 NO MORE HIBAKUSYA! 」