海を遠く
例年ならこの時期は、夏旅の計画を立てる季節ですが、
今年は飛行機代を安く済ませる、いい方法も見つからないし、
放置田に自然農の米作りを始めたり、市民活動が忙しかったり、
さらに、日本の将来を左右する国政選挙もあることですから、
少なくとも秋までは旅に出ない、夏旅には出ないことにしました。
僕の沖縄との関係は、映画「神々の深き欲望」を観て始まります。
人間の欲に対する罰として、ひたすら海岸の砂を掘る男の姿と、
その背景にあって、あまりにも美しいサンゴ礁の海の色!
さらには島のジャングルや、生き物たちの静かな鮮やかさ!
こんな美しい場所が、日本にあることが信じられなくて、
西鹿児島まで列車に乗って行って、そこから船で沖縄へ行った。
そのとき初めて見たサンゴ礁の海の美しさは、ショックでした。
まだ現代のように、海の美しさが紹介されることは少なくて、
ましてあのコバルト・ブルーの明るさは、実際に行って見ないと、
画面などでは臨場感がまったく伝わっていなかったのですから、
僕は一瞬にして好きになってしまった、一目惚れだったのです。
でもそのときはまだ、本当のサンゴ礁の魅力には出会っていません。
僕がその魅力に引き込まれたのは、海を潜るようになってからです。
初めての沖縄で知り合った日蓮宗の坊さんが、人の病気を治す?
と地元では有名な人でして、当時オカルトに関心があった僕は、
いったん東京へ戻り、大学を休学してその坊さんを追ったのです。
坊さんはすでに沖縄本島にはいませんでしたが、消息を訪ね、
まるで推理小説のように訪ね歩いて、宮古島で再会します。
そしてそのまま、しばらく彼の住処に同居させてもらいました。
今でも不思議に思い出しますが、彼は確かに、ある種の病気を治す。
それは例えば、医者に見放されたリュウマチで半身不随の人だったり、
片方の肩が重くて腕も上がらないような人を、守護霊に話しかけて、
原因を知り、その原因を取り除いて動くようにするのです。
そんな活動に同行している内に、何度か身の危険を感じたりもして、
僕はこのままではマズイと思い、彼のもとを去ることにします。
だけど大学を休学して住居も引き払っていたので、東京には帰れない。
どうしようかと彷徨いながら、ちょうど珍しい祭りがあるからと、
船に乗って見に行ったのが、竹富島で行われていた種取り祭でした。
民宿に泊まって、夜通し酒を飲み歩く神様に同行し、酔っぱらって、
意識朦朧と横になっていたときに、民芸喫茶のアルバイトが辞めた。
その後釜を受けて、僕はしばらく竹富島に住みつきます。
おっと、こんな話をしていたら終わらないのでやめましょう。
僕は少しずつ八重山との関係を深め、最終的に落ち着いたのがここ、
石垣島の北端にある、平野部落と、この無人島がある海なのです。
こうして外から見ても美しい海ですが、ここの魅力はそればかりでなく、
シュノーケリングで潜ってみる、サンゴ礁の美しさと魚の豊富さでした。
そして民宿「南の北の宿」で過ごした、夢のような楽しい日々!
僕は今、この海を遠く、北陸の砺波平野から想いだけを馳せるのです。
今日の写真、平野の“朝の海”は、クリックすると少し大きく見られます。
今年は飛行機代を安く済ませる、いい方法も見つからないし、
放置田に自然農の米作りを始めたり、市民活動が忙しかったり、
さらに、日本の将来を左右する国政選挙もあることですから、
少なくとも秋までは旅に出ない、夏旅には出ないことにしました。
僕の沖縄との関係は、映画「神々の深き欲望」を観て始まります。
人間の欲に対する罰として、ひたすら海岸の砂を掘る男の姿と、
その背景にあって、あまりにも美しいサンゴ礁の海の色!
さらには島のジャングルや、生き物たちの静かな鮮やかさ!
こんな美しい場所が、日本にあることが信じられなくて、
西鹿児島まで列車に乗って行って、そこから船で沖縄へ行った。
そのとき初めて見たサンゴ礁の海の美しさは、ショックでした。
まだ現代のように、海の美しさが紹介されることは少なくて、
ましてあのコバルト・ブルーの明るさは、実際に行って見ないと、
画面などでは臨場感がまったく伝わっていなかったのですから、
僕は一瞬にして好きになってしまった、一目惚れだったのです。
でもそのときはまだ、本当のサンゴ礁の魅力には出会っていません。
僕がその魅力に引き込まれたのは、海を潜るようになってからです。
初めての沖縄で知り合った日蓮宗の坊さんが、人の病気を治す?
と地元では有名な人でして、当時オカルトに関心があった僕は、
いったん東京へ戻り、大学を休学してその坊さんを追ったのです。
坊さんはすでに沖縄本島にはいませんでしたが、消息を訪ね、
まるで推理小説のように訪ね歩いて、宮古島で再会します。
そしてそのまま、しばらく彼の住処に同居させてもらいました。
今でも不思議に思い出しますが、彼は確かに、ある種の病気を治す。
それは例えば、医者に見放されたリュウマチで半身不随の人だったり、
片方の肩が重くて腕も上がらないような人を、守護霊に話しかけて、
原因を知り、その原因を取り除いて動くようにするのです。
そんな活動に同行している内に、何度か身の危険を感じたりもして、
僕はこのままではマズイと思い、彼のもとを去ることにします。
だけど大学を休学して住居も引き払っていたので、東京には帰れない。
どうしようかと彷徨いながら、ちょうど珍しい祭りがあるからと、
船に乗って見に行ったのが、竹富島で行われていた種取り祭でした。
民宿に泊まって、夜通し酒を飲み歩く神様に同行し、酔っぱらって、
意識朦朧と横になっていたときに、民芸喫茶のアルバイトが辞めた。
その後釜を受けて、僕はしばらく竹富島に住みつきます。
おっと、こんな話をしていたら終わらないのでやめましょう。
僕は少しずつ八重山との関係を深め、最終的に落ち着いたのがここ、
石垣島の北端にある、平野部落と、この無人島がある海なのです。
こうして外から見ても美しい海ですが、ここの魅力はそればかりでなく、
シュノーケリングで潜ってみる、サンゴ礁の美しさと魚の豊富さでした。
そして民宿「南の北の宿」で過ごした、夢のような楽しい日々!
僕は今、この海を遠く、北陸の砺波平野から想いだけを馳せるのです。
今日の写真、平野の“朝の海”は、クリックすると少し大きく見られます。