凄まじい南風

空が唸り、家が軋む、凄まじい風が吹いています。
町中でさえこうだから、田園地帯はさぞや激しい豪風でしょう。
天気予報では、早朝に気圧の谷が通ることは言っていたけど、
明け方まで、多少の雨が降るだけのような話だったので、
こんな暴風になるとは、まったく考えていませんでした。
しかも雨など降らないし、もう9時を過ぎているのに、
いまだに轟音を立てて、天地を好き放題に走っています。

昨日はツルマメ類の支柱を立てたところで、この風では、
多少の雨ならちょうどいい!と思っていたのが、とんでもない。
いったいどうなっているやら、心配なので見に行きます。
今日は朗読の練習日でもあるんだけど、今回はパスですね。
僕にとって今年の農作業は、次々に難題が押し寄せていて、
こうした思わぬ暴風に遭遇すると、また課題が増えてしまう。
だけど不思議と、こうした天災的なことには挫けません。

ただ残念なのは、最近は異常気象までも人為的なことが多く、
この暴風を引き起こすのも、熱帯雨林消滅による気流の激変で、
その風に乗って飛んでくるのが、人工化学物質だったりする。
人類が我が手で、これから生まれてくる命の首を絞めているのが、
何とも言えず、哀れで悲しい気持ちになってしまうのです。

子どもの頃に体が弱くて、肉類がまったく食べられなくて、
学校の先生からは、「大人になれないよ」とまで言われたので、
僕自身も、自分は48歳までに死ぬだろうと思っていました。
だから50歳を過ぎた今も生きていること自体が余録で、
今では、自分がこれまで人生で学んだこと、楽しんだことを、
少しでも多く次世代に繋ぐことで、未来に繋がりたいと思う。
その気持ちが、今の僕を支えているのかも知れません。

思えば、どうせ長生きできないとの思いから、自由に生きて、
時には傍若無人なくらい、何におもねることなく暮らしてきた。
それが今になって、いい人生だったなあ!と思うのだから、
人の一生は、学校の先生や保険会社のプランでは決められない。
ここにこうして生きていることの、奇跡的な喜びを知って、
この存在を楽しみ、味わい、感動と喜びのうちに生きる。
今まだ暴風は鳴りやみませんが、少し陽射しが見えてきた!