WBCに見た【母○国】

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世界16カ国が参加して、野球の世界一を競うWBC。
きのう日本は、ベースボール発祥の国アメリカに勝って、
いよいよ二連覇を賭けた決勝戦を、きょう韓国と闘います。
初戦から、日本チームは韓国にしか負けていないし、
対する韓国チームも、日本以外の国には負けていない。
まったく五分の戦いが、これから始まろうとしています。

日本でも韓国でも、マスコミでもブログでも巷でも、
野球をほとんど知らない人までが、この話題を口にして、
あらためて、スポーツが持つ力に驚かずにはいられません。
自分が日本人であることを、ここぞとばかり実感します。
特にそれを強く思わされたのは、アメリカとの戦いの最中、
一人の初老の女性が、「母○国」と記した鉢巻きをして、
じっと祈るように、うつむいている姿を観たときでした。

日本国内では決してあり得ない、日の丸を挟んだ「母国」。
「必勝」でもなければ「日本」でもない、「母国」の心は、
母性と同じように、勝敗ではない無条件の“stand by”です。
例えば3人の幼子を抱える母親は、幼子の一人が危険に合うと、
残り二人のことを忘れても、一人を危険から救おうとする。
合理的な判断ではなく、まず“stand by”であるところが、
良し悪しを考える父親の愛情と、大きく違うところでしょう。

ここから先は、僕が勝手に考えたことではありますが、
必勝でも日本でもない、「母国」と記した初老の女性は、
異国の暮らしで、自分が日本人であることを意識させられた。
良くも悪くも、自分が何者かと問えば日本人だったことを、
この鉢巻きの中で主張しながら、繋がりを確認している。
日本人であること、だからどうこうではない原点において、
母性と同じ無条件の“stand by”を唱えているのです。

日本人とは何か?は、様々な解釈があるかも知れません。
だけどひとたび日本人であるとなれば、無条件で大切にする。
これが日本という国の、根元的な存在思想ではないのか?
一人でも困っている人がいれば、手を差し伸べて助け合う。
僕らはそのために国を作り、様々な法律を定めているのでは?
そう思うと、格差社会は間違っていると思わずにはいられない。
もっと母性的価値観を持って、社会を創らなくてはならない。

原監督がこの試合を、歴史的一戦だったと言うのを聞きながら、
この素晴らしい勝利よりも、あの女性の祈る「母○国」に、
新しい世界に育つべき、価値観の根源を教えられるのです。
争うことや争わないことが大切なのではなく、もっと進んで、
たとえ争うとも、勝とうと負けようと無条件に“stand by”!
この心があれば、新しい世界の平和が見える気がするのです。

さあ、ガンバレ・ニッポン!!