神々への報告

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たとえば一つ、人間社会が目指した経済大国の例を紹介しましょう。
この国は、世界中で多くの人々がうらやむ豊かな生活をしていますが、
すべての人が、精神障害か、神経障害か、身体障害か、免疫障害か、
このいずれかに、あるいは重複して罹っているのが実情なのです。
これらは、欲深い人たちが目指したバラ色社会の実際の成果であり、
その裏では、政府中枢に巣くった闇のテロ集団が暗躍を続けています。
テロリストは、すべての市民に一千万円という膨大な借金を抱えさせて、
さらには、長い歴史と共に育ててきた自然との良好な関係をぶち壊させて
人々の未来への希望までを殺ぎ、限りなく絶望の淵に陥れているのです。

 ちょっと待ちたまえ。
 きみは最初に「豊かな生活をしている」と言ったのに、
 全員が何らかの障害者で、大量の借金をして、絶望の淵にいて、
 これがどうして、豊かな生活をしていると言えるのかね?

それが不思議なのですが、たぶん経済拡大信仰と関係しているのでしょう。
まったく同じものでも、金額が高いと有難味が増すと信じているようですし、
それどころか、海や水や空気や山といった一番重要な要素は省みなかったので、
もはや蓄えた財産の全部を注ぎ込んでも、取り返しのつかない環境破壊です。
いわば、せっせと環境破壊活動の手助けをすることでおカネだけが増えて、
額面を増やしたことで、豊かな生活になったと信じているようなのです。
あるいはまた、多くの人たちが罹っている精神障害や神経障害により、
すでに社会全体が、正常な判断を出来なくなっているのかも知れません。
つまり豊かな生活というのは、あくまで彼らの信仰としての話なのですが。

 なるほど、人はもう自然を重んじておらず、
 自分たちが何をしているのかもわからないほどまでに、
 経済信仰によって、絶望的な破壊者になっていると言うなら、
 やがて自ら滅びるだけの運命と見ればいいですか?

今はたしかに、そのような価値観で社会は動いているように見えますが、
それではこの拡大経済信仰が、社会全体で一枚岩のものかというなら、
実際には不信感を持つ人も多いのに、それに替わるものを見ないのです。
見えないのではなく、避けて見ないようにしているとでも言いましょうか。
そして四つの障害のいずれかを、あるいはいくつかを抱えながらも抵抗して、
自らの生き方を模索し、硬直した常識に囚われずに生きている人はいます。
全体として少数者ではありますが、彼らはおカネ信仰から身を遠ざけて、
衣食住に関わるものを、少しずつ自然近くに取りもどそうとしている。
そうした試みがあれば、絶望から這い上がる可能性はあるでしょう。

 それなら面白くなるかもしれない。
 人間はせっかく、五感と五体の限りは自由なのだから、
 その奇蹟を存分に味わって、喜びの内に暮らしてもらいたい。
 もうしばらく様子を見て、また報告してもらおうか。