物語としての人生 「十の罪業」

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人は誰でも、生涯に一冊の本は書ける!
とは、よく言われることですが、これは当然のこと、
自分の生涯を書き表すことを意味しています。
どんな人にとっても、人の一生は掛け替えのないもので、
科学や統計で分類される、数量ではないのです。

人間の脳の活動が、コンピューターとは違うのは、
様々な記憶が、単純にデジタルファイリングされるのでなく、
複雑な文脈的繋がりの中で記憶されるところにある。
だから、人の記憶を辿ることは、物語を紡ぐことなのです。
役者が役を演じきるとき、その人を生きるのと同じで、
物語を創作する人は、人生も創作しているのです。

エド・マクベイン編纂の「十の罪業 Black」を読んで、
そんな感想を持ちながら、5編の集録小説を思い出します。
ここに収められたのは、現代の一流作家が書き下ろした、
斬新で意欲的なミステリーの世界なのですが・・・


ジェフリー・ディーヴァー 「永遠」
 警察官になった数学者が、普通なら気付かない殺人事件に挑む。

スティーヴン・キング   「彼らが残したもの」
 9.11事件から生き残った者たちの、見えない消えない苦悩の日々。
 
ジョイス・キャロル・オーツ「玉蜀黍の乙女ーある愛の物語」
 少女誘拐事件を引き起こした少年の心を、破滅まで描いてみせる。

★ウォルター・モズリイ   「アーチボルドー線上を歩く者」
 アナーキストに振り回されながら、社会の裏を覗く若者の冒険。

★アン・ペリー       「人質」
 北アイルランド問題を背景に、信念を持つことの悲しみを描く。


それぞれ表現も個性的で、独特の世界観を見せてくれるのですが、
僕はこの中で、アン・ベリーの「人質」が一番心に残りました。

妥協できない頑固な指導者である父親と、その顔色をうかがう息子。
もっと違う意見の人とも話し合って、共存する道を探ってほしいと、
必死に懇願する娘の気持ちに、答えることも出来ない父親に対して、
話し合いを求める勢力が、武器と暴力による強硬手段に訴えてくる。
するとそれまで父に従うだけだった母親が、生きるための決心をする。

男たちの柔軟性に欠ける信念や理屈を重んじる考え方に対して、
女たちは子どもを孕み、共感することで、しなやかに変化していく。
ウォルターの描いたアーチボルドーが、男が見る世界観の姿なら、
アンの描いた母親ブリジッドは、女が見る世界観に生きている。
まったく違う世界のようでいて、実は交錯していると感じたのは、
同じ世界を、別のパステージで見ている気がしたからでしょう。

オーストラリアのアボリジニも、そうであったように、
すべての人々は、それぞれの物語を生きているだけなのです。
だからこそ、人生には魅力的な物語が不可欠なのでしょう。


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