働かない自由

2月10日付け毎日新聞の「憂楽帳」に、
山崎友記子さんの署名入りで、興味深い記事がありました。
僕は新聞を取っていないので、友人から教えていただいて、
ネット記事で確認したのですが、記事は要約すると次のようです。

~~~~【憂楽帳:働かない】~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
賃金差別など労働問題と取り組んできた「働く女性の全国センター」総会で、
「働くのが怖い。働かな選択もあっていいんじゃないか」と問いかけがあり、
「頑張って働くことを否定されるようだ」と不快感を示す声もあった。
だけど「怖い」と発言したアーティストのいちむらみさこさん(37)は、
企業内にはびこる長時間労働、理不尽な解雇、職場のいじめを暴力と感じ、
都内公園でテント暮らしをして「ノラの会」を作り、布製ナプキン製作販売や、
野外カフェを開くなどの交流で、仕事で稼ぐのとは違った豊かさで暮らしている。
「お金がなくても人との繋がりで物をうまく循環させ、生きる力を持っている」
雇用が根底から揺らいでいる今、働くことの意味を考え直す必要があるかもしれない。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~【山崎友記子】~~~~~~~~

こんな内容の記事でしたが、実はちょっと驚いてしまいました。
雇用されていないと「働かない」と思われるのは、おかしくないのか?
昨日は僕のブログで、「とやま憲法フェスタ」の記念講演を紹介したとき、
鴨さんの講演と質疑応答の中で、雇用労働者だけの権利を守ろうとすることに、
僕は疑問を感じたわけですが、鴨さんは全国ユニオンの代表だから立場がある。
だけど山崎さんは、ジャーナリストとして書いているはずですから、
そんな人が、雇用されていないことを「働かない」と表現することに驚くのです。
これでは、一家を切り盛りする主婦など、誰も働いていないことになる。

だけどこれは山崎さんの所為ではなく、社会的な認識がそうなのでしょう。
だからこそ、僕らがいくら「お金に代わる価値観」の大切さを唱えても、
意識のある人には理解されても、多くの人にはなかなか伝わらない土壌がある。
いちむらさんは、布製ナプキンや野外カフェで働いているわけですから、
雇用されていないから「働いていない」とするのは、あまりに貧しい発想です。
雇用されようとされまいと、人間として最低限の文化的生活ができてこそ、
憲法25条は守られるのであり、雇用労働者の条件も良くなるでしょう。
それを雇用労働者だけが働いているかのように差別するから、おかしくなる。

以前から繰り返し言っていることですが、生きるために雇用が必要だなんて、
そうした貧しい発想は早く捨てて、選択的失業の豊かな自由を認めていただきたい。
選択的失業者は働かないのではなく、ただお金に縛られないだけなのです。
そのために一番必要なのは、お金や資金ではなく、環境保全と生き方の自由であり、
食とエネルギーの自給ができていれば、選択的失業は難しいことではないのです。
就職しなくても、お金が無くても、日本には作物が育つ豊かな自然環境があって、
新しい技術による、自然エネルギーの効率的な利用も可能になってきています。
しかも日本には、昔から匠のワザを伝える気風があらゆる分野に広がっている。
これらを総合的に利用すれば、豊かに自給自立する生活と国造りができるのです。

それなのに何故?日本人は危うい貿易による経済成長が不可欠だと思い込まされ、
人間性を失うような条件にまですがって、雇用確保をしなければならないのか?
お金がないと生きていけないような、貧しい国だと思い込まされているのか?
そこに現代日本の、詐欺的経済政策があるから、何も問題を解決できないのです。
今が金融経済危機ではなく、政治社会危機だというのは、これを指しているのです。
何も不可能なことを言うのではなく、どうあるべきかの選択肢の問題だからこそ、
まず日常的に思い込まされている常識を、いったん脱ぎ捨てる必要があるのです。