遊び仕事

イメージ 1

日本海学講座の一環で、
「森・海・いのちに学ぶ ~仕事の連鎖、百年の展望~」
と言うのがあり、気になるので行ってきました。

立教大学大学院教授で哲学者の、内山節さんの基調講演、
「仕事とは何か、そしてどう変わってきたのか
 ~里山の暮らしからの考察~」の中で、
現代人の労働が、市場経済の「稼ぎ」を求める偏ったものになっているが、
本来の労働には2種類あって、人が地域で役割を担う「仕事」があるはず。
と話されたのが、今回の講座のキーワードになっていました。

もともと労働には多様なものがあって、「稼ぎ」でない「仕事」とは、
地域の共同作業とか、家族の中での役割とか、文化の継承とかがあり、
こうしたことに参加していることによって、生活の安心があったと言います。
現代ではこうした側面が忘れられ、市場的な価値だけが労働になったので、
労働するとは=おカネを稼ぐことになってしまったのです。
これによって、人々は人間同士の絆を失い、孤立化したというのです。

この基調講演のあと、パネルディスカッションとして、
「百年無事に暮らせる仕事のあり方
 ~自然・地域・人間の連鎖のなかで~」がありました。
パネリストは、内山さんをコーディネーターとして、
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
○大熊孝さん(新潟大学名誉教授・河川工学者)が、
  「川の矛盾ー恵み・災いーと技術」
○鬼頭秀一さん(東京大学大学院・環境倫理学者)が、
  「自然・地域・人間をつなげる生物多様性の思想」
○西頭徳三さん(富山大学長)が、
  「高度差4000mの空間・富山に見る生命の循環」
○浜田きよ子(高齢生活研究所所長・排泄用具の情報館代表)が、
  「老いに寄りそう仕事」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
とそれぞれの考え方を披露され、さらに意見交換という形で進行されました。

その中で大熊さんの河川の話は、川と人間の関わり方には三段階があって、
(1)小技術による、私的段階=個人による水の利用と安全確保。
(2)中技術による、共同体敵段階=地域の共同体による水河川管理。
(3)大技術による、公共的段階=政治的目的による土木的治水管理。
このバランスの中に、あるべき水害対応策がある!と言うものです。
それが現代は(1)の個人的関わりが薄れて、水遊びもできなくなっており、
主体的に川と関われなくなるのは、人間的に大きな損失であると話されました。

同じように興味深かったのが、鬼頭さんの「遊び仕事」のお話で、
現代人の仕事感覚は、内山さんが「稼ぎ」と表現されるものに偏っており、
これは狭義の労働であって、本来の仕事には遊びの要素があるというものです。
この時の解説図がわかりやすいので、こちらに転載しておきました。
上の図が現状を表したもので、本来は下の図のように、遊び感覚を伴った、
身体性を備えたものでないと、人間としてのバランスを失うというのです。
僕らの自然農も、稼ぎにはならなくても身体性を伴うことで「生き方」になる。
人生全体のなかで、自分の仕事をどう位置づけるかが大切だと言うことでしょう。

西頭さんは、富山県が地味なイメージであることを脱却したいと話され、
浜田さんは、地域との繋がりである仕事をしないで稼ぎ仕事だけをしていると、
体が不自由になったり、退職したようなときに、何をしていいかわからなくなる。
自分の役割が見えなくて、孤独を深めてしまうと話されたのも納得しました。

内山さんは、シンポジュウムまとめとして、フランスの子どもたちを例に挙げ、
彼らは外で遊んでいるときには、年少の子の面倒を見ることを仕事としている。
あるいは家畜に餌をやることを自分の役割として理解し、責任を持っている。
こうした、誰でも何かしらの役割を持つことの大切さを話されたのは、
たしかに今回のシンポジュウムの主旨をうまく纏められていたように思います。
「日本の四季・日本の心を歌う」と題した歌と演奏も含めて、
とても刺激的で、いろいろ考えさせられるシンポジュウムでした!