100円イチゴ

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町内で、春の交通安全指導員の当番があって、
当番は早朝に、通学路に立たなくてはなりません。
そのためにいつもより早く、11時頃に寝たら、
真夜中に目が覚めて、眠れなくなりました。

困ったなあ、と思いながら、それならブログでも、
と考えてパソコンを立ち上げ、珈琲を入れました。
ついでにイチゴを食べようかと思いましたが、
真夜中に何かを食べるのは、あまりいいことはない。
そう考えて、珈琲だけにしておきます。

ところでこのイチゴ、ヘタを取ってしまいましたが、
ほぼ全部が完熟状態で、とっても美味しいのに、
これで1パック、100円だったのですよ!
特売ではあったけど、賞味期限切れとも違うし、
パックに、生産者の写真入り名前さえ付いていました。

安い理由を考えるとすれば、粒が小さいことでしょう。
相変わらず、肥満児用の果物がよく売れる日本では、
粒が小さいと、それだけで商品価値がなくなるのです。
場合によっては、捨てられてしまっているかも知れない、
そんな小粒のイチゴですが、味は新鮮で美味しいのです。

なんだか懐かしい気がするのは、僕が小さい頃に、
我が家の庭にも少しイチゴが植えてあって、そこには、
こんな小さなイチゴがあったのを思い出したからでしょう。
最近の商店では、すっかり姿さえ見なくなった小粒です。
だけど実はしっかりしていて、濃いめに甘いのです。

フェアトレードでは、適正価格ってことを言いますが、
日本国内の商品に、そうした適正価格はあるのでしょうか?
遠方から運んでくるものは、その輸送費や手間を考えれば、
地場のものより高いのが適正価格とも言えそうだけど、
現実には、遠方からのものが安かったりしますよね。

人類に交易が始まって以来、何が適正価格なのか、
実はよくわからないし、需要と供給に任されているのです。
だけどそうやって交易を拡大する中で、貧富の差は生まれ、
地球を温暖化させるほどに、環境悪化も広がりました。
そして自然界は、受容限度に近づいているのです。

国や企業は、また排出権取引などで儲けを狙いますが、
そうした大規模なトレードが、問題を解決すると思えない。
むしろそれぞれの地域で、地域環境にあった産業で、
衣食住を自立的に自給する循環をデザインすれば、
それが、将来の問題を小さくすると思われるのですが・・・