もったいない話

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このところ様々な食品関係の偽造が、マスコミの話題になっている。
○○牛と偽って他の肉が入っていたり、製造日時を改ざんしたり、
とうとう内容表示が重い順に並んでいないとかで、名のある餃子が、
販売を取りやめるという騒ぎにまでなっているけど、なんだかおかしい。

そのほとんどは、人の健康に障害を起こすようなことではないし、
ブランド名だけで馬鹿高い代金を支払う人に、被害なんか知れている。
どこぞの製薬会社が、危険だとわかっている薬品を使って儲け、
お役所までがその片棒を担いだような事件とは、被害も比較にならない。

食品の製造年月日の表示にまつわる、疑問に思う話の実例としては、
コンビニなどで売れ残る弁当を、廃棄処分にする話などが有名だ。
その日の食事にも困る人がいるというのに、家畜の餌にされていくなど、
どうにかならないのかと思うのは、僕だけではないでしょう。
時々友人がそうした弁当を持ち帰ってくると、僕は喜んで食べる。

マックで消費期限を過ぎたサラダを販売していた話などを聞いても、
サラダが食べ頃か、もう食べ頃でないかなんて、見ればわかるでしょう。
目の前にある現実よりも、箱に書かれた表示を重んじることの方が、
僕にはなんとも、不気味なことに思われてしょうがないのです。

同じように首をかしげる現象の一つに、レジ袋の削減があります。
無駄なビニールを少しでも減らそうと思うので、協力はしているけど、
実際に買い物をした時に、一緒に持ち帰らされる大量のビニールゴミは、
レジ袋よりも、一つ一つ買い物をする度に付いてくるパックでしょう。

合理化を最優先に考えて、ポスシステムを維持するために導入された、
バーコードのために、何でも買い物ごとにパックビニールが付いてくる。
たしかに便利で合理的かもしれないけど、それでいいのか疑問に思う。
むしろ食材が山積みされた中から、必要な分量だけを買う方が無駄もなく、
そのぶん多くの人手が掛かって合理的でないとしても、人間的だと思う。

専門関係者さえ、よくわからないくらいに法制化された社会生活で、
僕らはいつのまにか、自分で考え、判断することが無くなるとともに、
合法的であれば何をしてもいいような、価値観の風潮を育てている。
「もったいない」といくら思っても、法律がそれを許さない社会。
何かがおかしい、その「何」かをえぐりだしていかないとならない。