意思表示できない人々

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知り合いが「憲法9条を守ろう」というステッカーを作ったので、
12枚を引き取って、希望する人に配布することにしました。
すぐに売れると思ったのですが、意外に買ってくれる人は少ない。
一枚500円は、高いのか安いのか、僕にはよくわかりませんが、
勝ってもらえない理由は、値段ではなく周囲への気兼ねです。

貼りたいけど自分の車ではない、家族の車だから、会社の車だから、
と言う理由で、憲法問題に関心がある人でも貼ってはもらえない。
自分の意志を表現する手段として、それを社会に広めたいと思えば、
ステッカーを貼って意思表示するくらいのことが何故出来ないのか?
しかもこれはマグネットなので、必要なら簡単にすぐ外せる。

周囲の人の目を気にしながら、自分で考えることなく周りに合わせる。
その事を愚痴にして言うことはあっても、行動はそれに伴わない。
みんなの意見が憲法を守ろうではないかも知れない、って考えて、
違う意見の人に遠慮して、何も意思表示しないことを処世訓とする。
そして誰の意志でもない家族の意志は、地域の実力者の意志で決まる。

世界各地でのニュースを見ていると、政治経済社会のあらゆるシーンで、
多くの市民が、自分たちの考えを様々な形で意思表示しているけど、
日本では60年代の挫折以来、市民は意思表示をしなくなったらしい。
言っても仕方がない、から言わない、からますますひどい社会になる?
ステッカーも、もう少しおしゃれならいい気もするけど、やっぱりダメか?

政治家も教育者も、言ってることとやってることの違う人が多いから、
人が言っていることを、本気で聞かない人が増えているのかもしれない。
誰かが言ったことをオウム返しに伝えるだけで、自分では考えない。
それで上手に世渡りしていると思い込んでいる、成績優秀な人々の社会。
なんだかなあ、この国ではっきりものを言えるのは、コメディアンだけか?