見えないものを見る「チカラ」

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僕は最近でこそ、自然農から様々なことを学んでいるけど、
以前は珊瑚礁の海から学ぶことが多かったんですねぇ。
そんな学びの一つに「目の前にあっても見えない」がありました。

たとえば海に潜っているときに、大型の魚ばかり探していると、
目の前にサザエやシャコ貝があっても、気が付かなかったり、
もっと極端なのは、この写真のヤエヤマギンポなんか、
魚の図鑑で写真を見るまでは、一度も見たことがなかったのです。

いえいえ、実は目の前にいても気付かなかったのが本当で、
その証拠に、一度この魚の存在を知ってからは、目に付くし、
過去の僕と同じように、知らない人には存在も気付かれないのです。
これは人間の優れた能力の一つだと、最近になって知りました。

レインボウ・カラーが、文化圏によって見える色が違っている。
同じものを見ているはずなのに、なぜ違う認識をしてしまうのか?
どうやら人間は、色にしても音にしても、膨大な情報の中から、
自分が必要なものだけを抽出して、認識しているらしいのです。
そうでないと情報が多すぎて、何かを認識することが困難なのです。

たぶん他の生き物もみんな、多かれ少なかれそのような選別をする。
人間も同じように選別的にしか認識できないわけだけど、
この無意識の選別は、五感のみならず理性や感情においても起きる。
たとえば原発に問題意識のない人には、近くで地震があっても、
まったく危機感を感じることがないのは、そのためでしょう。

ひとたび関連性や事態の深刻さを知ってしまえば、地震と聞けば、
原発の稼動状況や、風向きが心配になったりするのです。
だからこそ、「まず知ること」が非常に重要な要素になるのです。
これに気付いて、僕は多くのことを知りたくなったのです。

そうして自分に気付きが増えてくると、人にも伝えたくなる。
それは人間の本性であって、生来社会性を持つ人間は、
自ら知り得た知識を、他者と共有することで多くの危機に対応し、
多様性を持つことを、豊かさの証として生きてきたのです。

多くの人は、自分の知っていることが絶対だと信じることで、
目の前にあるもっと重要なことに、気付かなかったりするのです。
優れた人との違いは、ひとえに謙虚さのあるなしでしょうか。