地震の日

自然農の集まりで、前日は半日外で作業をしたせいか、
朝から頭は痛いし、目は開かないし、喉もおかしい。
9時頃に友人から電話があったときには、声もおかしかった。
それでも用事があったので、起きて朝食を食べていたら、
9:42、じわじわっと大きく家が揺れて、地震だとわかる。
けっこう冷静なまま、もう火は使っていなかったので、
何か倒れないかと周囲を見回したけど大丈夫。
ただ棚の上に置いてあったコインが棚から下に飛び散って、
床にガシャガシャと騒がしい音を立てたのを覚えている。

いちおう家の中を点検してみたけど、古いディスプレイの上に
置いてあったキーボードが滑り落ちたくらいで、特に被害はない。
テレビで地震の速報を聞きながら、食事を済ませて、
車で出掛けがてら、KNBラジオ番組のモニターをする。
庄川の近くでラジオを聞いていたら、番組は地震情報で、
そのまま一時間、まだ詳細の伝わってこない情報を聞いていた。
マグニチュード7.1と言うから、相当大きなエネルギーで、
阪神神戸の大地震のときも一報をラジオで聞いたのを思いだした。

その日僕は横浜にいて、女性を一人銀座におろして多摩まで行く、
そんな大回りな通勤途中の車の中で、地震情報を聞いていた。
地震は被害が大きすぎると、なかなか情報が伝わってこない。
情報を伝えるインフラが、地震で壊れてしまうからだった。
まさかそういうことでは?と心配になるほど、被害情報はなかった。
大きなニュースとしては、死者一人、怪我人10人程度の被害で、
富山のラジオ局だったせいもあって、能登半島の情報は少なかった。
だけど番組が終了する直前になって、輪島で被害甚大と伝えられた。

ラジオはそこまでした聞いていられなくて、夕方家に帰り、
大相撲の決定戦で朝青龍が苦笑いするのを見てから地震情報を見た。
そこで見たのは、豪雪にも耐える大きな家が、根こそぎ傾いたり、
一階部分がぺしゃんこになってつぶれている姿だった。
奇跡的に死者は石灯籠で押し潰された一人から増えてはいない。
風光明媚故に自然界の脅威にもさらされている海岸線の国道が、
無惨に土砂崩れに覆われ、また崩壊しているのが見える。
志賀原発が稼働中でなかったのは、不幸中の幸いでしょう。
どうせ周辺インフラも壊れたでしょうから、このままずっと、
二度と原発なんか稼動しないでいただければいいでしょう。

おひとり亡くなった方にはお悔やみを申し上げるしかないけど、
これでとうぶんは、志賀原発が動かないでくれると思うと、
どうしても少しホッとするのを禁じ得ない。
ひとたび原発で臨界事故が起これば、その被害たるや、
想像することもおぞましい惨状となるのだから・・・