〈 祈り 〉

きのう私はグァテマラ・デ・ラ・アスンシオンにいた。
先祖の灰を積み重ねた土の家に並ぶ白い家。
その壁に 時間をまとった聖職者や兵士の人相を見たのは、
グァテマラの伝説における記憶であった。
すなわち 夢の化生が物語を紡いでいく。
行き着いた先がここグァテマラ・デ・ラ・アスンシオン
穏やかな平原 濃密な樹海 果てしなくのびる山々、
点在する湖 広場と寺院、
石ころだらけの街路の四つ辻にひっそりと影を落としている小屋。
物語の始まりであるところ 時の輪をそれが進む。
あるときは精霊が あるときはジャガーが樹が、
たとえば刺青女の伝説で魂の一部を失ったアルメンドロ博士が樹木
であったように
人は大地の仕業の前で一歩退いていた。
舞台へ踏み込んでは劇が見えない道理に従って。

明日私はどこにいるだろう。
私の物語の初めである東京に戻れば そこでは時の輪が失われ、
偏向した科学と経済の一直線の道だけがある。
私は回帰したい。
豊かな大地と交わり時と親しみ 再びそれを子供達に譲るのでなけ
れば 百万キロの発電をして何になるだろう。
技術の進歩はすでに明らかに人の幸福への道をはずれている。
それはあたかも 新しい交通機関が二百キロのスピードを出せると
いう理由で そのスピード需要をあおり立てるのによく似ている。
技術の暴走はあらゆる自然環境に対する絶大な破壊規模から見ても、
いずれはナチのユダヤ虐殺以上の犯罪となるだろう。
長い目に見えぬ年月をかけて、
しかもそれが誰の目にも明らかになるとき、
亡命する先はもうどこにもないのだ。
愚かだ あまりにも愚かで痛ましいではないか。

私はいつもここにいる。
この地上以外のどこに暮らせようか。
眼下に広がる緑の大地は マヤの人々の叡智の場所。
裸の子供達が いずれ帰りつく大地にまみれて雄弁な森の木々と 
会話するところ。
樹も家も街も土地も 人間と同じ顔を持ち、
心ではなく魂が自由に語り合う世界 ここにも想像のインドと同じ
まったく新しい何物かを与えるに十分なほど古い何かがある。
これは私たちの文明が これからインドやマヤを見習えということ
ではない ただ、
忘れかけている別の道があることを思い出すことが肝要なのだ。
人類の将来を叡智に賭けた戦いが始まっている。
この戦いはミサイルでは勝てない。
より多くの人が自分を見つめ 人と自然の関係を知り、
真の認識は交霊に他ならないことを 道具とは表現に他ならないこ
とを知れば勝てるのだ。

号令を待つのではない、
ひとりひとりの生きる姿 歩く方法自体が大切なのだ。
気付いた人が次々一歩を踏み出せば、それは自然に流れ出すだろう。

         (1982年 自作小説「空き地」より抜粋)