ブログを書く意味

個人の意見を淡々と書き続けるブログとは何か?
誰に頼まれたわけでもない内側からの欲求として、
自分に関わる様々な事象を記事に書くのは何故か?
誰かがそれを読んで意見をくれるとも限らないのに、
ひたすら書き続けようとする意志はどこから来るのか?
あわよくば誰かに認めてもらって意見が欲しいからか?

政治、経済、教育、医療に対する不信が渦巻く社会でも、
人は一人では生きていく意味を見出せない存在だから、
わずかでも自分を認めてもらえる可能性があることなら、
たとえその大半が虚しい作業であっても続けるしかない?
たしかにそうした側面もあるかもしれないけど、
僕はもう少し積極的にブログの記事を書いています。
書かないでいると何を考えたかさえ消えてしまうから、
毎日少しでも自分が感じたことを書き続けているのです。

現代社会の大きな特徴は情報が多すぎることで、
その多すぎる情報を精査するマスコミが機能しないから、
僕らは日常的に何が本当だかわからない世界に住んでいる。
そして実は偉そうにしている政府の教育役人でさえ、
お役目のためには嘘も平気な非人間的な存在だと知り、
社会の価値をうっかり信じてはいけないと気付いている。
平和、人権、自然といったあらゆる言葉の意味さえ、
戦略的にしか見えなくなってしまった社会で僕は、
こうして記事を書くことで自分を確認し続けている。

意思表示して書いておくのには二重の意味が存在するのです。
一つは今の社会にある価値観を認めているわけじゃないってこと。
もう一つは僕自身が自分を見失ってしまわないように書くってこと。
心に思うことの中で書かないことと言えば人を傷つけること。
不当に人を傷つけること以外は何でも書いていくつもりです。
それは仕事でも義務でも名誉でもなく自らの欲求だからでしょう。
これがささやかながら自分が生きている証になるのかもしれません。