映画とテレビドラマの違い

先日、映画「手紙」の試写会を見て、たっぷりと泣きました。
だけど前半は、精神的に自立しない主人公の生き方に腹が立って、
こんなの2時間も見せられてはたまらないから帰ろうかとさえ思いました。
だけど我慢して見ていたら、半ばを過ぎて「君はここで生きていくんだ」
あたりから、ようやく彼がどう自立して生きるのかの話になっていく。
被害者の家族との対面シーンや、刑務所内でのコントのシーンは泣けた。
だけどなんか、ここが泣きの壺だよって感じで、面白いとは言えなかった。

そのあとテレビで「14才の母」を見て、またたくさん泣いてしまった。
実はこの番組、初回を見たときにはアラが見えすぎてちょっと白けた。
だけど「命は誰のものか?」ってテーマには関心を持っていたので、
それがどう描かれるのか気になって2回目も見たんですが、
志田未来演じる一ノ瀬未希が妊娠したあたりからドラマが緊迫して、
今週の第3回は、何度も胸が震えて涙を流さずにはいられませんでした。
愛情豊かに暮らす人々の中で、14才の娘が妊娠することでもたらされる、
数々の波紋と、人間の信頼や結びつきが交錯していく様は熱かったです。

来週はどうなるのでしょうか?と思って見続けていくとき、どこかで、
一ノ瀬未希と同じように、自分も新しい命と向き合っていたりする。
常識的に考えれば、子供を産んで育てることの難しさはわかっている。
だけどその常識を受け入れて、新しい命を葬ることには抵抗を感じるのだ。
「忘れるしかない」と、父に言われたときには決心できなかったのが、
彼に言われて、深い絶望と共にたったひとりぼっちになってしまう。
だけど未希は、母親が自分を産んでくれたときの話を聞いているうちに、
自分のお腹の中の子供は自分が守らなければ誰が守るのか?と、
どうしても納得できない命の関係に目覚めていってしまう。

雨の中を逃げ出していく未希の姿を見ながら涙が止まらなかった。
生まれてこようとする命は、人の都合でどうにでもなるものではないはずだ。
このドラマでは、14才の主人公にそのことの重大さに気付かせることで、
見る者にも命の何であるかを考えるきっかっけを突きつけてくるようだった。
こうしたドラマは、何ヶ月も掛けて物語が進んでいくので、
主人公や家族と一緒になって考え、思い悩んでいくことが出来る。
未希の彼だって、いったん忘れようと言いながら、忘れられるはずがない。
病院を抜け出して逃げた未希は、やがて子供を産むことになるだろう。
そのとき彼はどんな態度を取るのか?、そして家族はどうするのか?

そして突然気付いたんです。これは現代の純愛物語なんだってこと。
2時間や3時間の、しっかりと組み立てられた物語では収まらない、
何ヶ月も掛けて、一緒になって体験する、現代の純愛物語なんだってこと。
名のある脇役人はもちろんいい演技の味を出してくれているけど、
志田未来の演技は、すでにすっかりこの役を捕まえているように見える。
それは、いつのまにか大女優になりつつある沢尻エリカとは違う、
このドラマの方が現実であるかのようなリアリティで見せてくれる。
映画では出来ない、これがテレビドラマの魅力だと知りました。