関組長の話
国会でロビー活動をしている関組長のお話会があったので、
ウイングウイング6階の会議室まで行って来ました。
以前にも話は聞いたことがあって、ほぼ同じ内容でしたから、
僕自身はそれほど新鮮な刺激を受け取ることが出来ず、
むしろ何かうまく言えない違和感を感じてしまいました。
それでも国会の実情を聞くのは面白い話だったとは思いますが。
実際に僕らはこの国の立法府である国会の様子を知らないので、
話を聞いて知っておくことは大切なことだとは思うのです。
それがなんだか今ひとつ熱心に聞けなくて困惑していたら、
近くにいる人が、ボソッと興味深いことをつぶやいていました。
「ロビー活動って、何かしてもらうお願いに行くんでしょ」
その人は、今ある権力に何かをお願いに行くんじゃなくて、
自分たちで新しい社会を作りたいと考えている人だったのです。
僕はしばらくこの言葉を頭の中で繰り返していました。
アメリカなどでは盛んに行われているロビー活動が、
日本の国会ではなぜほとんど行われていないのか?
国民と政治の関係はアメリカと日本でどのように違うのか?
そうした国民性の違いは市民活動にも見られるものなのか?
だとすれば僕らの活動はどうあるのが自然なのか?
どうにも僕には、そんなことばかりが気になりだしたのです。
たとえば安心して暮らせる平和な社会を作ろうとするにも、
管理されない自由な生き方による共生を望む者もあれば、
強い権力の統制によって管理された社会を望む者もいる。
こうした相反する要求をどう調整するかが政治の役割だから、
ロビー活動による運動も必要だとは理解できる。
ただ僕自身はそれ以上に、この社会がどうあるべきか、
少しでも「こうあればいい」を生きてみたいと思っている。
もしかすると、そのあたりにも、
この国の文化にまつわる何かが潜んでいるのかもしれない。
ウイングウイング6階の会議室まで行って来ました。
以前にも話は聞いたことがあって、ほぼ同じ内容でしたから、
僕自身はそれほど新鮮な刺激を受け取ることが出来ず、
むしろ何かうまく言えない違和感を感じてしまいました。
それでも国会の実情を聞くのは面白い話だったとは思いますが。
実際に僕らはこの国の立法府である国会の様子を知らないので、
話を聞いて知っておくことは大切なことだとは思うのです。
それがなんだか今ひとつ熱心に聞けなくて困惑していたら、
近くにいる人が、ボソッと興味深いことをつぶやいていました。
「ロビー活動って、何かしてもらうお願いに行くんでしょ」
その人は、今ある権力に何かをお願いに行くんじゃなくて、
自分たちで新しい社会を作りたいと考えている人だったのです。
僕はしばらくこの言葉を頭の中で繰り返していました。
アメリカなどでは盛んに行われているロビー活動が、
日本の国会ではなぜほとんど行われていないのか?
国民と政治の関係はアメリカと日本でどのように違うのか?
そうした国民性の違いは市民活動にも見られるものなのか?
だとすれば僕らの活動はどうあるのが自然なのか?
どうにも僕には、そんなことばかりが気になりだしたのです。
たとえば安心して暮らせる平和な社会を作ろうとするにも、
管理されない自由な生き方による共生を望む者もあれば、
強い権力の統制によって管理された社会を望む者もいる。
こうした相反する要求をどう調整するかが政治の役割だから、
ロビー活動による運動も必要だとは理解できる。
ただ僕自身はそれ以上に、この社会がどうあるべきか、
少しでも「こうあればいい」を生きてみたいと思っている。
もしかすると、そのあたりにも、
この国の文化にまつわる何かが潜んでいるのかもしれない。