戦争振り返りブームの落とし穴!

高岡の大泉寺で「憲法を読む会」に参加してきました。
みんなで憲法を朗読して、篠原巌さん(元富山大学憲法の先生)
と話をしながら、憲法とは何か、何が問題なのかを考える会です。
ここで最近の戦争振り返りブームにある問題点が見えてきたので、
僕にわかる範囲で、いくつか整理をして書いておこうと思います。

(1)戦争体験談ブームの危険性!
最近各地で戦争体験者から話を聞く機会が増えているのですが、
これは、必ずしも戦争に反対してるわけじゃないことが危険です。
戦地での苦労話はたくさん聞けるのですが、多くの場合、
「あの戦争は指導者が悪かったから負けてひどい目にあった」
と言って、裏返すと「もっと良いリーダーであれば勝っていた」
つまり「次回はもっとうまくやって勝たなければいけない!」
ってことが意外と多いのです。これは間違いなく現実です。
体験者に戦争をどう思うかを聞いても、被害者意識だけで、
自らが加害者としての反省を聞くことは珍しいのです。
若い人だけではなく、戦争体験世代にも再軍備を求める声がある。
これは日本には未だに戦争をどう捉えるかの公式文書がない、
あるいは、戦争を総括する施設がないこととも関係しています。

(2)戦争反対と言いながら軍備拡張の政治家に投票する。
都会と違って僕のような北陸の田舎では、戦争であれ原発であれ、
戦争反対!、原発反対!と言いながら推進派の人に投票する。
これは自分の主義主張で選挙投票をするわけではない、
もっと地縁による「あの先生」に勝ってもらおうと投票する。
けっして昔の話ではなく、今でもこの様相はあまり変わっていない。
したがって、戦争は賛成か反対かと聞けば迷わず「反対」する人が、
平気で軍備を拡張する政党や政治家に投票してしまうのです。
この本音と建て前の二重構造が変わらないと何が起きるかわからない。
改憲には絶対反対と言っている人が、平気で自民党に投票する。
したがって、衆参両議院で憲法改正案が通る可能性はあるのです。

(3)ジャーナリズム精神が失われている。
多くの人はさまざまに政治経済の良し悪しを批判するのですが、
その情報や批判の根拠をマスメディアの記事やニュースに頼っている。
そこには暗黙の了解として、マスコミは公正だとの思い込みがある。
だけど経済主義で利益追求が第一義となったマスコミ各社では、
新聞、ラジオ、テレビ発祥時期のようなジャーナリズム精神がない。
政府や大企業の横暴に対して、弱者の声を代弁する役割を放棄して、
ひたすら利益追求のサービス産業になってしまっているのです。
そうしたサービス産業としてのマスコミ報道に本来の批判精神は弱く、
むしろマスコミこそが大政翼賛会的に権力者の主張を代弁したりする。
これでは戦争も原発も、その意味するところが問われないまま、
安全行政の中に取り込まれて正当化されてしまうのが当然でしょう。
大企業となっているマスコミほどこの傾向は強いのです。

ざっと考えただけでも、大きくこの3つの問題が見えてきます。
この現状をどのように打開していくのか、具体的な方針が必要です。
僕に出来ることは、まず知ること、知ったことを伝えることで、
少しでも多くの人に、自分で考える人になって欲しいと思っています。
政府やマスコミの情報を鵜呑みにしないで検証していくこと。
お金や労働に対する価値観にはどんな裏があるかを知ってもらうこと。
その上で自らの生活はなるべく自立できるように工夫する。
少なくともそうした方向性を持って初めて自分で判断できると思うのです。
「あの戦争は誰が悪かった」じゃなく、どんな戦争も明確に否定できれば、
戦争をしないために軍備を持たないことの意味が見えてくるのです。
戦争に勝者はいない、戦争した者が敗者だってことがわかるのです。