状況役割からの脱出!

自分は何者か、何が正しいことかは、
多くの場合自分が担っている役割の思い込みで決まる。
「状況の力」とも呼ばれるこの現象は実にやっかいで、
この力の中に閉じこめられて自覚のない人は、
冷静に見ればひどく残酷なことでも平気でやってしまう。

昨夜たけしのTV番組で紹介していた囚人と看守の実験は、
まさしくこの事実を証明した危険な実験だったといえる。
特にある種の特権を与えられた人はその維持に夢中になり、
自分の役割(看守)を忠実に遂行するためには、
目の前の人(囚人)の苦しみさえ省みなくなってしまう。
これが公務員などの権力者による市民取り締まりの感情で、
行き着くところは、アウシュビッツなどの合理化を生む。

こうした状況からどのように脱することが出来るか?
一番いい方法は、それも一つの役割との自覚を忘れずに、
常に「やめてしまえる自分」を維持してることだ。
どんなことに夢中になるにしても、それは遊びと理解して、
その遊びをやめてしまえる自分を持ち続けることが大切だ。
「遊びの達人」とは、ときには夢中で遊びながらも、
必要に応じてその遊びをやめられる人のことを言うだろう。

自分の役割や状況を絶対的なものと思いこまないで、
もう一つ自由な世界から状況を見られる人ってことでもある。
これがよほど強い意志がないと困難なことなんだよね。
西欧ではユーモアによって、東洋では遊び心によって、
一つの価値観に夢中になりすぎないための戒めがある。
これが思いやりのある人間の知恵ってもので、
法律や正義よりも大切なのだと感じている。