「癒し」と「救い」

以前から考えていたことに一つに、
「癒し」と「救い」はどう違うのか?
って事がありました。
宗教家の僕の友人は同じようなものと考え、
ほとんど程度の違いのように言うのを聞いて、
それは違うと思ったものです。

そして今でははっきり違いが認識出来ます。
「癒し」と言うのは自己努力が伴わずに、
ただ刹那的に苦痛が和らげられるのに対して、
「救い」とは自分で何かやった人が、
やったことの価値を認められたときに感じる、
つまり何もしない人にとっては、
「癒し」はあっても「救い」はないと思う。

今頃なんでこんな事を思い出したかと言えば、
六ヶ所村ラプソディー」を見たときに、
インタビューを受けた女性が言っていたこと、
原発に反対しないのは賛成しているのと同じだ」
の意味について考えたからです。
確かに原子力開発の事態が進んでいる中で、
反対しなければ否応なく放射能汚染が進行する。

反対しなくても慰め的な「癒し」はあるけど、
そこには「救い」などなさそうだ。
逆に反対することで不利益を蒙ったとしても、
自分の心を生きた人には「救い」がある。
「救い」は一時的なものではなくて、
生き方を総括するものなのかもしれない。