チョコ届く

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日本に定着している記念日の中で、
もっとも不思議なものの一つは、
バレンタインデーじゃないだろうか。
イタリアの聖バレンチノの誕生日だか、
そんな人は知らない人がほとんどなのに、
バレンタインデーを知らない人はいない。
幼稚園児から学生、社会人、老人まで、
老若男女何かしら意識しているようだし、
2月14日の当日にはテレビ、ラジオも、
この話題を取り上げないところはない。
買い物に行けば大きなコーナーがあって、
珍しいチョコが所狭しと並んでいた。

これはもうお菓子企業に踊らされた、
愚の骨頂と言えばあまりにもそのまま。
だけど人の心を思えばそう単純でもない。
どこかの腹立たしいコマーシャルのように、
「ものより思い出」と言いながら車を売る、
ほとんど詐欺まがいの話がまかり通る時代。
人は自分でものを考えることを放棄して、
何が真実だかわからなくなっている中で、
マスコミと企業が提供するものを信じている。
さらに法律と行政がそれを保証してみせる。
だから多くの人は車に憧れチョコを買う。
その心理に大きな違いはないだろう。

それでも人の心は表現を求めている。
演劇も彫刻も絵画も音楽もみんな同じ事で、
自分の内側にあって表現したいものが噴出し、
独自の表現をした結果と見ればいいだろう。
さあ、私の気持ちはどんなチョコで表現する?
とチョコを買う行為だって実は同じ事で、
うまく自分の気持ちを表現できない人たちが、
この時とばかり力を得てチョコを買ってみる。
その行為は一概に否定出来るものではない。
真実を言えば、その人たちは企業に踊らされ、
マスコミを信じて、必要のないものを買う。
わかっていても、人の心は存在している。

いや実は僕も一つだけチョコをもらった。
14日に会った女性は高岡市役所の職員と、
北日本新聞の受付係だけだったのだから、
チョコなんかくれる相手はいなかったんだけど、
わざわざ遠くの高島屋から宅急便で届いた。
僕はチョコ好きではあっても安物しか買わない。
だからこんな高級チョコはチョコと言うより、
なにか飾り物のような気がして食べにくい。
あまりさっさと食べられては困るから、
こんなに手の混んだ作りになっているのか。
そんなことを考えながらチョコを眺めた。
二日経った今もどうしていいか眺めている。