無免許医師と、免許を持つ建築設計士

このところ姉歯建築設計事務所による、
強度を誤魔化した建築物の話題がにぎやかだ。
設計、認可、建設、施工、販売の担当者が、
お互いに責任のなすりあいをしている。
マスコミでこれだけ取り上げられたら、
政府行政が尻ぬぐいをするしかないだろう。
今回の事件は、政府免許の虚しさを露呈する。
難しい試験をクリアする能力はあっても、
人間性が伴わなければ意味がないってことだ。

これと正反対なのがニセ医者さわぎで、
医師法違反で逮捕された山城英樹容疑者は、
診察を受けた患者に評判が良かったと、
何人ものインタビューで言われている。
医者としては多くの人に人望までありながら、
国家免許がないから逮捕されてしまった人。
一方は免許があるから大勢の被害者が出るまで、
ぬくぬくと仕事をして稼いでいた人たち。
国家資格とはいったい何なのかと考えてしまう。

資格とはその職業の能力を認定するものか?
それなら、現に患者を治療して評判の良かった、
山城英樹さんなどは逮捕されるどころか、
急いで医師免許を与えてもいいはずだ。
だけど現実にそうはならずに逮捕される。
すなわち国家資格が保障するのは能力ではない。
いかに国家の思惑通りに仕事をするかの、
踏み絵試験でしかないのかもしれない。
だからこそ建築設計の誤魔化しは大事件で、、
社会理念が揺らいでしまうほどの問題なのだ。

こうした危うい幻想に基づいた社会は、
自然な命の鼓動に根差してはいないので、
多くの人の心身を不安定にしてしまっている。
安心した生活を味わって生きたいなら、
まず国家資格や社会保障などのまやかしから、
離れて自由に生きることが大切かもしれない。
今回この二つの事件からそんなことを考えた。