障害者自立支援法案への見解

最近、日本自立プロジェクトのMLで、
障害者自立支援法案に対する意見交換があり、
僕の考えを送信したものをここに転載します。
固有人名はイニシャルに代えましたが、
その他は原文のままです。

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イソップです。
Iさん、Nさん、Zさん、
ステキなメールありがとうございます。

障害を持つ人も安心して暮らせる社会とは、
もちろん、誰でもが安心して暮らせる社会って事ですよね♪
それは政治に訴えることも大切だとは思いますが、
政治にあまり過大に期待しすぎると挫折するのが常です。
政治はあくまでも権力を競い争奪する場であって、
本質的に弱者が安心して暮らせる場を作ることはありません。
それを作るのは、権力よりも多くの人との幸せを望む人々です。

権力志向のない共生指向を望む人が政治を動かしはしない。
そうでないときもありますが、これが基本と覚悟しておきたい。
そこで大切なのは様々な形での共生コミュニティだと思います。
まみあなのように町の郊外で自然農をやっていると、
なぜ草を処分しないのか、なぜ肥料をやらないのか、
優秀な野菜をたくさん取った方がいいに決まっていると言われる。
役に立たない虫や雑草などは殲滅してかまわない考えです。
それは一見合理的で生産性が高いように見えますが、
人間にとって豊かさとは何かと考えたときに間違っているとわかる。

人間も基本的に命の仲間であって、そこからは逃れられない。
命の豊かさとは何かと見れば、十万年の歴史が示している通り、
植物においても動物においても、多様性を獲得することでした。
また植物の進化の最高峰がランの花だという事実は、
命は単に合理的な数字の増殖を望んでいるわけではなく、
一見無駄なまでに自己表現をしたがるものだと気付かされます。
人間もまた、音楽、絵画、踊り、文学などの活動を通して、
数え切れない表現を豊かさとして獲得してきたわけです。
この多様性を大切にできなくて何が豊かでしょうか?

まずは自分が生きている足元を豊かにするために、
個人が少しでも自立して豊かな生活を目指し、
個人ではできないところを家族や生活を共にするものでまかない、
それでも足りないものをコミュニティで補い合うのが基本です。
僕らはまず顔の見えるコミュニティの中で助け合い、
そこでどんな人でも同じ人間として生きることが基本です。
それを少しでも円滑にできるように支援するのが地域の政治、
国はそれらが問題なく動いているかを監視する程度でいいのです。
国に対する働きかけは大切ですが、過剰な期待は禁物です。

多様性こそが命の豊かさだと気付けば道は見えます。
孤児だろうと、気難しい人だろうと、肢体不自由者だろうと、
老人だろうと、赤ん坊だろうと、それぞれのケアをしあって、
自分のできる範囲で助け合うことが喜びに繋がる。
そうした価値観を育てていくことがすべての人の幸せになる。
だからこそ人の顔が見えるコミュニティが大切なのです。
豊かさは政治によるのではなく僕らが手を取り合って作るもの。
一緒に活動出来る範囲の人々と手を取り合うことが鍵でしょう。

学びの場で何年か自然農をやっていると、
虫も人間も野菜も雑草も同じ命の別の姿だと気付きます。
みんな仲良く暮らせる道を探るのが自然農です。
様々な価値と共生出来るのが豊かさだと感じています。
今こうして生きている奇蹟を大切にしたいです。