硬直する思考回路

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昨日は午後からまみあなへ行って、
近くの営農畑の不要な大豆を刈り取り、
束ねて木の間に張ったロープに干した。
食料品の買い物をして、家に帰って、
食事をしながらテレビを見始めたら、
ウオーターボーイズとか言って、
高校生の集団シンクロ・スイミングの大会だった。

これがまあ、感動的なくらいきれいに揃って、
テンポのよいリズミカルな演技に見とれてしまった。
水中でこれだけ素早く大きな動きをしながら、
マスゲームとして呼吸を合わせるのは至難の業だろう。
それはまあたしかにすばらしいのだけど、
あとになってベッドに入ってからは、
なんだか深い悲しみを感じた。

水中での自由な身のこなしは、
本来それだけでも気持ちがいいものだ。
それを僕は沖縄の珊瑚礁の海の中で味わった。
複雑な珊瑚礁の地形に合わせて体をくねらせる。
美しい熱帯魚やカスミアジの動きに合わせて、
陸上では考えられない体の動きをしてみるときに、
それ自体に何か大きな感動を覚えるのだ!
その開放感、命の自由さはテレビの中とは対局にある。

テレビは一見楽しそうに見えながら、実はその裏で、
見ている人の活力を奪って観客にしてしまう。
もう動けない老人ならテレビを見るのもいいだろうが、
まだまだ動ける人は、自分で動いた方がいい。
まして毎日何時間もテレビを見ていると、
やがて思考回路が硬直してしまうだろう。