写真は残さなかった
10代から30代にかけて、写真が嫌いだったので、
当時の僕の写真は、ほとんど残ってはいません。
20代後半には、一眼レフカメラを持っていたし、
けっこう気に入った写真も、あったと思うのですが。
僕の暮らしが安定しないで、次々に新しいことが起きて、
それに夢中になっていたので、写真は残さなかった。
30代後半に生活が安定して、冒険もほどほどになり、
水中写真を撮るようになって、写真を残すようになりました。
基本的に退屈な暮らしで、どこかへ出掛けたときにだけ、
写真を撮るようになって、残しておくようになったのです。
小笠原の海なんかを、撮っていた記憶があります。
本格的に撮るようになったのは、デジカメが出てからで、
それまでとは違って、水中写真が綺麗に撮れるようになった。
今日載せた写真は、20年前に撮った水中写真ですが、
当時石垣島で付き合いのあった、根本さんが映っています。
彼はその後亡くなっていますから、この写真は貴重で、
平野の海に潜ったとき、素手で海老を捕まえたときのもの。
この頃はお金はあったので、新発売のデジカメに、
水中撮影用のハウスを買って、撮りまくっていました。
解像度は高くないのですが、デジカメは水中のゴミを拾わず、
被写体をクリアに撮れるので、素人でも良く撮れたのです。
ダイビングを始めたときに、叶えたかった夢の3つは、
30代ですべて叶えて、その後はシュノーケリングです。
野生のイルカと一緒に泳ぎたい、マンタの群れを見てみたい、
アジやイワシの群れの中で、一緒になって泳いでみたい。
さらに磯マグロやサメを見て、ハンマーヘッドを見て、
もうスキューバで見たいものは、なさそうな気がしました。
ちょうど仕事も辞めて、お金を節約する暮らしになって、
潜りはシュノーケリングだけで良い、とも考えました。
当時の僕は、シュノーケリングだけで20メートル潜り、
2分近く水中にいることが出来たので、良い写真が撮れた。
水中でいい被写体を見つけると、特に魚の場合には、
追いかけても良い写真は撮れないので、待ち伏せます。
ほとんどの魚は、それぞれの範囲で回遊しますから、
いったん離れても、また回ってくる場所で待つのです。
また毎年同じ場所に潜っていると、ある程度の魚は、
同じ場所にいるのがわかるので、その場所に挨拶に行く。
アカククリやマダラトビエイ、メガネモチノウオなど、
毎年同じような場所で、出会えるのも楽しみでした。
1990年代から先は、たくさんの写真を残していますが、
70年代80年代の、旅をしていた頃の写真は残っていない。
今思えば、残しておけば良かったとも言えますが、
元気に動けたときは、写真よりも実世界がおもしろかった。
それでも90年代後半からは、こうした写真があるから、
気に入った写真は紹介しながら、何か書いていきたいと思う。
いつまで続くかはわかりませんが、写真と同じくブログも、
こうして何かを残せるから、一つの力だと思うのです。