異様な12月寒波

イメージ 1
 
世界各地で大寒波が襲来し、大きな被害も出ていますから、
日本も例外でないのは、予想に難くないことでしたが・・・・
北陸では3日から雪が降り始め、砺波平野の雪は少なかったので、
このくらいなら、根雪にはならないだろうと考えていました。
あくまでも過去の経験値で考えると、12月の雪が根雪になれば、
1月2月に積もり重なる雪で、大きな被害も予想されます。

ホッとしていたら、日本各地では大雪の所があったようで、
東北の太平洋側や四国では、予想外の大雪になっているとか。
JRなどの交通機関も、各地で止まっていたようですし、
四国の徳島では、大量の車が雪で立ち往生したまま自衛隊が出動。
山道で脱輪した人が、歩いて帰ろうとして亡くなっていたり、
各地で大きな被害が出て、大変なことになっていたのです。

雪に対する備えがある地域では、この程度の雪であれば、
対応になれているから、あまり心配もしないし被害も少ない。
だけど備えのない不慣れな地域では、大きな被害が出るのだから、
やはりどんな災害でも、被害を想定した備えが必要なのです。
その意味でも、原発は安全だと言って建設したのは、
サギの時代の典型的な騙しで、人間として許し難いこと。

天災であれば、耐え難きを耐えるのは何とかできますが、
原発のような人災では、受け入れがたい屈辱を味わうでしょう。
人間は今一度謙虚に、自然を受け入れて暮らすべきであり、
そうした日本人の思想こそ、多くの進化を受け入れて発展できる。
僕はそう信じて、新しい時代に対しても古いものを土台にし、
進歩しすぎない、バランスの良い暮らしをしたいと願うのです。

それまで暖かだったから、この3日間は異様に寒く感じますが、
こうした地元の人間が感じる異常こそ、大切な感性です。
それぞれの風土にあった感覚で、何かおかしいとわかるには、
それ相当の月日を、経験的に知っている必要もあります。
60年生きている人の感覚は、6年しか生きていない人よりも、
磨かれた感性を持っている、可能性と必要があると言うことです。

これから長い冬が始まって、どの程度の雪が降るのか、
わからないからこそ、僕らは常に謙虚に暮らしていたい。
想定外なら仕方がないのではなく、どんな想定であれ、
それを超える事態を考えたときに、災害から逃れる手立てを、
考えられるようにしておけば、僕ら個々人も努力ができる。
個々人が対応出来ない人災など、あってはならないことなのです。

井波に引っ越してきた当初は、雪が降りだすと嬉しくて、
カメラを持って、雪の風景を撮りに行っていました。
だけど今では、雪が降ればひたすら寒い!と感じるので、
なるべく外出は控えて、静かにおとなしく暮らしています。
気が付けば風景を見る人から、風景そのものになって、
今は失われた井波のまちなみを、懐かしみながら暮らします。