戦争をしない誓い!

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今年もまた、終戦記念日が近づいてきました。
第二次世界大戦に負けた日本は、世界で唯一の被爆国として、
その過酷さを胸に、二度と戦争をしない誓いを持った国となります。
実際に日本は、軍備を持たないことによって経済を建て直し、
平和を謳歌しながら、平和のすばらしさを世界に伝えてきたのです。
人類史上に初めての戦争放棄は、多くの人々に支持されて、
僕らは生まれたときから、平和の国の人として生きてきたのです。

それが今年になって、アベノ独裁が率いる政治家集団が、
この国を戦争のできる国にするため、憲法解釈を変えました。
日本語が理解できれば、誰が聞いても平和から遠ざかる解釈変更は、
いったい何を丁寧に説明するのか、正気の沙汰ではありません。
長崎原爆の日の式典で、集団的自衛権閣議決定について、
「丁寧な説明によって国民への理解を深めていく」と挨拶したところ、
式に招待された一被爆者から、「集団的自衛権では平和にならない」
と意見を述べられ、説明するどころか「見解の相違だ!」と切り捨てたとか。

表面だけきれいなことを言って、ちょっと都合が悪くなると、
聞く耳を持たない独裁者の顔がでてくる、恐ろしいアベノ独裁です。
公式見解ばかり聞いていると、この国が戦争するなんて考えられないけど、
この数年の自民党の活動や、アベノ独裁のやり方を見ていれば、
放っておけば大変なことになることは、もはや明らかなことなのです。
僕らはたとえ小さな声でも、自分の意見を言い続けることによって、
平和を望む人が少なからずいることを、伝えていかなくてはなりません。

僕ら日本人は戦争の反省にたち、未来において二度と戦争をしないことを、
自ら信じる精霊と良心に誓った、これが第九条を含む平和憲法の意味なのです。
この憲法は決してお仕着せではない、その時の日本人は皆そう思い、
二度と戦争はしない強い意志を、生き残った国民の誰もが共有したのです。
決してひとりの独裁者によって、変えられていいものではない、
人類史に新しいページを書き記す、祈念すべき憲法だと言えるでしょう。
この先多くの人が、独裁者の口車に乗って戦争に走ったとしても、
それは悲しいことですが、平和憲法の意志は永遠に語り継がれるのです。

僕は近年「生き方としての自然農」を学び、実践していますが、
こうした理想に向かって生きることも、国が平和であることが条件であり、
その平和を維持することで、人々の幸せも成り立つと信じています。
経済最優先で危険を冒し、原発や軍備を正当化して考える人もいますが、
何が人の幸せなのか、何が人の喜びなのかを考えてみれば、
原発も軍備も必要ないことは、疑いの余地さえないことなのです。
僕らは強い意志を持って、平和を守る責務だってあるはずです。