「よへさ」で朗読

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以前にも、紹介したことがあるかと思いますが、
高岡市氷見市の境界近くに、伏木って場所があり、
そこに「よへさ」と言う屋号を持つ、民家があります。
大きなお屋敷で、昔は手広く商をされていたのでしょうが、
今は静かな暮らしで、時々何か催しをされている。

ちょうど今の季節には、しだれ桜がきれいなので、
毎年花見の会が開かれますが、今回はその花見の会で、
茶色の朝」を、朗読しないか?とお誘いがありました。
1998年にフランスで出版された、この短編小説は、
2002年のフランス大統領選挙における、決選投票に、
国民戦線の党首ルペンが出る、と決まった直後から、
爆発的に読まれた、きわめて政治的な作品です。

茶色はナチズムを示し、最初は些細に見えたことが、
いつのまにか人々を、独裁的な価値観へ導いていく姿が、
はじめは滑稽に、やがて笑えない危惧として描かれている。
この茶色が日本では何を示すか、興味深いところなので、
朗読を引き受け、当日の意見交換を楽しみにして行きました。

この日は気持ちのいい快晴となり、しだれ桜も美しく、
古い木の板塀に、五月の緑に混じって楓の赤も映えていました。
集まった人数はわずかでしたが、ちょうど先日映画を見に行った、
フォルツアの室伏さんもお見えで、お話しが出来ました。
それは映画「第4の革命~エネルギー・デモクラシー」の、
ドイツでの意味と、日本での受け止められ方の違いに始まり、
日本における「茶色」は、何を指すかという話でした。

新しいエネルギーは、単なる古いエネルギーの代替えではなく、
巨大システムによる住民管理社会から、自律した人の社会へ、
エネルギーの使われ方自体を、大きく変化させるものです。
だけど日本では、このデモクラシーの部分が抜け落ちていて、
単に原子力から自然エネルギーへの、転換と見られている。

この原因こそ、いつの頃からか日本人を染め抜いてきた、
経済優先一色の価値観であり、エネルギー問題の解決案も、
経済性の中でしか考えられない、囚われた価値観ではないのか?
フランスやドイツ、あるいは北欧のエネルギー政策には、
単なる代替ではない、民主政治の復権が謳われているのに、
日本ではこのデモクラシーの部分が、あまりにも脆弱なので、
第4の革命の意味さえ、正しく認識されていないのです。

思わぬ場所で、こんな議論まで出来たことは幸いで、
その後はしばらく桜を見ながら、次に来た人と談笑です。
よへさの会場には、手作業で作られた焼き物の展示もあって、
これはまもなく、銀座三越に展示される物もあるとか、
色の違う人の集まりは楽しく、ゆるりと時間が過ぎました。