ひまわり
南砺市の福光地区に、ひまわり畑があると誘われて、
利賀での打合せ時間前に、回り道をして行ってみました。
にわか雨になりそうな雲行きの下で、農作業する人に道を尋ね、
なんとか辿り着いたのが、上の写真にあるひまわり畑です。
周囲の水田に比べれば、限られた面積の畑ではありましたが、
砺波平野でこんなひまわり畑が見られるなんて、不思議です。
利賀での打合せ時間前に、回り道をして行ってみました。
にわか雨になりそうな雲行きの下で、農作業する人に道を尋ね、
なんとか辿り着いたのが、上の写真にあるひまわり畑です。
周囲の水田に比べれば、限られた面積の畑ではありましたが、
砺波平野でこんなひまわり畑が見られるなんて、不思議です。
立て看板には、自由に切って持っていっていいとあったので、
さっそく何本かハサミで切って、家に持ち帰って飾ってみました。
実はこのあと、利賀で打合せをする料理教室の講師の人に、
ひまわりをおみやげにするつもりで、切り取ったのでしたが、
利賀へ着く早々に激しい雷雨となって、ひまわりは渡せぬじまい。
そのまま助手席に乗って、家まで一緒に来てしまったのです。
男の一人暮らしでは、普段は切り花など飾らないのですが、
台所に置いてあった花瓶に水を入れて、ひまわりを飾りました。
考えてみれば、十数年前に生前の母がこの花瓶を置いたきり、
先日掃除を手伝いに来てくれた女性が、丁寧に洗ってくれるまで、
お盆の時期に来る姉が、墓参りで余った花を活ける以外には、
まったく使われたこともない花瓶だったかも知れません。
不思議な繋がりは「縁」として、聖なる物語の一翼を担い、
索漠とした我が家に、ひまわり畑の風景と潤いをもたらしたのです。
生き方を大切にするとは、真に豊かな生活を目指すことですが、
いかに正しい理想を持っていても、潤いのない生活ではダメでしょう。
生活の潤いを一人で満たすことは難しく、人は誰かが必要なのです。
同じ美しい夢を胸に抱いて、同じ時を一緒に過ごす奇跡だけが、
やがて聖なる物語を育んでいく・・・と思うのですが・・・