テレビと犯罪

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僕は一人暮らしで、食事の前後には習慣的にテレビをつけます。
それも不規則な生活なので、けっこういろんな時間帯のテレビを見る。
ニュース番組や、環境・平和・人権などの特集番組があれば、
迷わずそれを見るのですが、それがないときはワイドショーや、
タレントが並んで、時事社会問題を語る番組なども見てしまいます。
そこで思うのが、テレビって殺人などの凶悪事件が好きなんだってこと。
これはたぶん、その方が視聴率が上がるからなのでしょうか?

実際に世の中で起きていることは、目立つ殺人や交通事故死よりも、
膨大な税金の無駄遣いや、将来を不安にする原子力問題などが大切で、
そうしたことなら、一日中でも議論して欲しいものだけど、
巨大な権力や利権構造の奥は、マスコミでは滅多に真相が出てこない。
でもって人殺しなどの話題なら、興味津々で視聴率も上がるから、
お決まりで周辺の人のインタビューなどを流しながら、コメント放題です。
こんな報道ばかりしていると、それを何よりも大事と勘違いする人も出る。

今回たくさんの人を殺傷した通り魔による犯行は、悲惨なもので、
誰でもいいから殺したかった!なんて、許されざる事ですが、
犯人のもう一つの犯行動機である、ワイドショーを独占したかった!は、
笑うに笑えない、今の時代の愚かさを凝縮している気がするのです。
たぶん彼は、自分ではどうしようもない孤独感にさいなまされて、
子どもが親に振り向いてもらいたいときに、だだをこねて暴れるように、
マスコミに取り上げてもらうことで、自分を確認したかったのでしょう。

人間を人格として見ることなく、人材や消費者としてしか見ない時代に、
普通に暮らす多くの人は、表面的には穏やかに社会性を保ってはいるけど、
それが普通であればあるほど、自分を見つけられなくなっている。
人材でも消費者でもない、個性ある個人として生きることを知らない、
自分が誰だかわからなくなった人が、マスコミに取り上げられることで、
自分が自分であることを確認したがっているのではないかと感じるのです。
社会の要求に合わせれば合わせるほど、孤独に陥っていく人々!

だからと言って人を傷付け殺傷するなど、国家権力でも許されないことを、
誰であれ、やって許されることでないことは間違いないのですが、
そこまで追い込まれた犯人の孤独を思うとき、この社会の歪みを感じます。
経済社会の一部になりきることで、自分を見失ってしまった魂の孤独は、
どこかに発露を求めたくて、だけど社会の窓口はテレビしかわからない。
どんな良いことをしたって取り上げてもらえる可能性は薄いけど、
誰よりも凶悪な犯罪を犯せば、ワイドショーを独占できると考えたのです。

愚かな話だけど、彼は今や、望み通りにワイドショーを独占している。
この構造が、新たな犯罪の誘因にならなければいいと願うのは、
ひとり僕ばかりではないと思うのですが・・・