人とは恋人のこと!

10月から、高校生と机を並べて古典を習っている。
今日はその年内最後の授業を受けてきました。
高校生の頃はおきまりの解釈を覚えるのがが面倒で、
まったくと言っていいくらい好きじゃなかったのに、
自分の生き方を考えるうちに、古い文化に興味を持って、
あらためて古典にも興味が湧いてきたという次第です。

いつだったか、白不浄、赤不浄の話を聞いて、
日の丸にはけっこう深い意味がありそうだと思いましたが、
今日は普段使い慣れているはずの「人」について、
古文では通常「恋人」を指すと聞いて気付いたことがあります。
「人」と言う文字は、なぜたった二人で寄り添っているのか?
日本人は社会性よりも人情による繋がりを重んじて、
その基本を男と女の関係に見ていたのではないだろうか。

日本人には、正義とか理論よりも大切なものがあって、
それはどうも「男」であり「女」であること。
この考えはイリイチでさえ説明に困難を極めたようで、
ジェンダーを唱える人たちから、差別的だと非難されている。
たしかに日本文化においても、「男らしさ」「女らしさ」は、
必ずしも自然でないまでに作られたものではある。
それでも、ここには単なる支配構造ではない何かがある。
あらゆる人が、それぞれの命を味わう智恵があると思うのです。

古文の中で「人」と言えば恋人のことであり、
登場人物は男であれ女であれ、恋愛の情を大切にする。
大切にするあまり、死んだり殺されたり呪われたり、
どんな立派に言い回そうと、この国の歴史は恋愛の歴史でもある。
だから「人」とは恋人でしかありえないのであって、
実は現代でも、日本人の多くはそのように生きている。
日本人は、「理」よりも「情」でもって知れるようです。