二種類の自由

来週26日に、富山国際大学で、
「自由に生きる」と題した話をする。
その所為か、このところ自由について考える。
そして二つの自由があることに気がついた。
一つは権力による守られた自由であり、
もう一つは執着を捨てることによる自由だ。

現代の地球上の人類は、法治国家を基礎として、
あらゆる権力を国家に集中させることで、
人々の暮らしを安定させようとしている。
それは確かに有効な手法ではあったけど、
その権力を手にした人たちが保守に走ると、
社会は一握りの利権者集団とその他に人に別れ、
大きな社会格差を生みだすように思われる。
勝ち組み負け組なんて発想もこの範疇だ。

もう一つの自由は、そうした執着を捨て、
自らが生まれてきた命に信頼を置くもので、
権力によって守られた自由とはまったく違う。
こちらの方は人為法が整備される以前から、
多くの賢人と呼ばれた人たちによって、
様々な形で諭されてきたものだと言えるだろう。
ただし成文化されることが難しいことによって、
番人の規範となることは困難を極める。

それではどちらに信頼を置くかと言えば、
僕は権力による自由など信用はしていない。
なぜならそのほとんどは弱い人を踏み台にした、
利権者同士のトラスト組合のようなものだから、
弱者差別を前提にした自由なのだ。これは、
社会活動を円滑にするために必要な部分もある。
だから一概に否定はしないけどね。

そしてあらゆる人が幸せになる唯一の道は、
みんなが小さく自立しながら助け合って生きる。
希少なものを奪い合ったりするのではない、
個々の人が自由に自分を生きて幸せになって、
巨大権力や巨大エネルギーなど必要としない、
小さな美しい世界をたくさん作ることだと思う。