給湯と暖房温度

人間の感覚は融通が利くというか、かなりいい加減だ。
冬は寒いので暖房するのはあたりまえだと思うけど、
部屋の温度を何度に設定するかが問題になってくる。
僕は以前は暖房を18℃に設定していたんだけど、
本当にそんな温度が必要なのか疑問に思ったので、
17℃に下げてみたら、何の問題もなかった。

それじゃあ、どのくらいで寒く感じるのか試そうと、
1℃ずつ下げていって、今は14℃に設定している。
それでも、寒くて困るようなことはないようだ。
どうやら体が少しずつ寒さに慣れてきたようで、
季節始めには15℃で感じていた寒さを今は感じない。
10月に寒さを感じ始めた頃と、1月になった今とでは、
機械的な温度計では計れない体感温度が変化したのだ。
事情は違うけど、同じような事は給湯の利用にも言える。

石黒家で給湯のない生活を目の当たりに体験すると、
お風呂以外は給湯を使わなくても生活できると気付く。
冬の台所仕事などはたしかに手が冷たく痛くなるけど、
大量の洗い物をするわけではないからすぐに終わる。
するとしばらく冷たかった手が一気に温かくなって、
なぜ給湯設備が必需品なのかわからなくなってくる。
そこで僕は、お風呂以外での給湯使用をやめてしまった。
この冬は台所仕事にいっさい給湯を使っていないけど、
一瞬の冷たさに刺激される以外の問題は何もなかった。

人間はそうした過酷な状況にも慣れるけど、同じように、
堕落して楽に暮らすだけの生活にも慣れきってしまう。
痛みも冷たさも感じなくなって、やがては人の苦痛に、
共感する主体さえ見失ってしまう人が出てくるようだ。
たった暖房温度と給湯のことだけど、こんなことにも、
社会の固定観念はその呪縛を広げているのだと知った。
非常識ではなく、常識に囚われない生活をしよう。